英語民間試験のなぞ
大学入学共通テストの英語民間試験のことがなぜだか気になる。
もう大学受験なんぞしないし、周囲に受験を控へた子どももゐないといふのに。
気になる点のひとつは、「どう考へてもいいとは思へないのに、なぜ民間試験をやるのか」といふことだ。
何回か受けられるのはいいと思ふが、そのたびに受験料が必要だ。
それに受験勉強は英語だけやつてゐればいいわけではない。
英語だけにそんなに労力は避けない。
それとも英語だけ先に終はらせておいて、あとはほかの教科に力を入れやうといふことなのか。
どうもさうは思へないのだが。
去年の一月に「史上最悪の英語政策」を読んだ時点では自分には見えてゐなかつた問題点が最近明らかになつた。
民間試験を受けるには、受験会場に行く必要がある。
住んでゐる場所によつては、三日がかり、四日がかりで受験せねばならぬ人もゐるといふ。
住んでゐるところによつてそんなに差があつたらダメでせう。
平等ぢやないぢやん。
完全に平等にするのはむつかしいこともあるかとは思ふが、これだけ明白に差異があるのに導入したらダメでせう。
何回か受けられるのはいい、とは書いたが、これでは複数回受験する選択肢はない人もたくさん出てくるといふことだ。
それだけで民間試験はダメだと思ふけどなあ。
受験生に負担をかけちやいかんだらう。
こんなにダメなのに、政府は全然完全撤廃しやうといふ気配を見せない。
2020年の入試では民間試験はやめることにしました、といふ記事を見かけたが、話によると中途半端なやめ方で、このままでは大学に無言の圧力をかけて民間試験を導入させることになるのでは、といふ。
納得できないことばかりだ。
納得できないことはこの世の中にはたくさんある。
昨今のニュースを見てゐると、「なぜこれがまかりとほるのか」といふ内容ばかりだ。
だがさうした問題をおいて、英語民間試験が気になるのはなぜなのか。
わかりやすいから、といふのはあると思ふ。
でもそれだけではない気がする。
心のどこかで、教育は国の礎と信じてゐる。
さういふことなのかもしれない。
自覚はまつたくないけれど。
あるいはまだ大学を受けるつもりでゐるのか。
まさかね。
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