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Thursday, 10 October 2019

ちやんとした人間になりたいか

先日、健康診断のときのことだ。
順番待ちで込み合つてゐて、それでもやつと空いてゐる席を見つけたので座らうとしたときのことである。
向かひ側から人がやつてきた。
こつちの方がいすに近いし、おそらくやつがれの背後にある受付の方に行きたいのだらう。
さう思つて道を譲つたら、その人はいすに座つてしまつた。
おなじ職場にゐる、顔は知つてゐるが一緒に働いたことはない人だ。
以前から傍若無人なところのある人だとは思つてゐた。

その一方で、人間、この人のやうに生きてゐた方が楽なのではないか、とも思つた。
やつがれのやうに、向かひから人がやつてきたから道を譲るとか、背後から人がやつてくる気配があるからドアを開けておくとか、さういふことをする人間の方が苦労は多いし、有り体に云つて損なのではあるまいか。

健康診断といふのはやたらと無駄に待ち時間ばかり長いから、いろいろ考へた。
たぶん、人間としては、相手より自分の方がちやんとしてゐる。
では、自分はちやんとした人間になりたいのだらうか。
ちやんとした人間でありたいと思つてゐるのか。
思つてゐるとしたらなんのために?

そこで、「ちやんとした人間だと他人から思はれたいからさうしてゐる」といふことに気づく。
「自分は「ちやんとした人」である」といふメッキがはがれてしまつた。

自分がさうしたいから他人に道を譲つてゐるのではない。
人からちやんとした人だと思はれたいからしてゐる。
だから他人が譲つてくれないとすつきりしない気持ちになる。
「こつちは譲つてゐるのに」と思ふからだ。
譲つてゐるのは自分の意思でさうしてゐるに過ぎないのにね。

それでは今後は他人に道を譲つたり、ドアを開けておいたりしないことにするのか。
それもなんだかできないのだつた。
さうするものだと思つてゐるからだ。
でも身についてはゐないその証拠に、相手に譲る気がなければこちらもなにもしないことがある。
ちやんとした人といふのは、他人の言動に関はらず他人のことを慮る人のことだらう。

生きる甲斐なしとはこのことだらうか。
でも席に座つたあの人は、そんなこと思つてもみないんだらうな。

やはりあの人のやうな人間の方が生きてゐて楽なことに間違ひはなささうだ。

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