人生アップデート
人生をアップデートできずにゐる。
「昔はかうだつたのに」でパワー・ハラスメントやセクシュアル・ハラスメント認定されてしまふ、といふ話ではない。
いや、あるのか。
パワー・ハラスメントやセクシュアル・ハラスメントについては、世の中がだんだん「かういふのはダメ」といふやうになつてきたな、といふ気はしてゐる。
ある日いきなりいままで問題とされなかつた行為が「パワー・ハラスメントです」「セクシュアル・ハラスメントです」と云はれたといふ気はしない。
準備段階がちやんとあつたと思つてゐる。
一方で、同性愛についてはある日突然「異性愛同様、公に認められて然るべし」といふ風になつてゐた気がしてゐる。
準備段階があつたやうな気がしない。
もしかするといまがその準備段階なのかもしれない、と思ふくらゐである。
気がつくと映画にもさうした内容を取り入れたものが多い。
映画はあまり見ないから、これまでに準備段階があつたのかもしれない。
さういふアップデートも間に合つてゐないけれど、落語とか浪曲とかのアップデートもまつたく間に合つてゐない。
当代の文治は一度しか聞いたことがないし、圓楽は楽太郎時代に一度聞いただけ、文楽に至つては一度も聞いたことがない。
いづれの名前を聞いてもいまだに先代のことを思ひ出してしまふ体たらくだ。
浪曲も、虎造、米若、二葉百合子くらゐでとまつてしまつてゐる。
寄席にはほとんど行かないし、浪曲も聞きには行かないから当然の結果でははある。
それで困りはしないしね。
落語はともかく、たまにTVで浪曲を聞いても最近は虎造や米若のやうな声の人はゐないやうだし。
アップデートしなければ。
さうは思ふものの、「いつかしなけりや」と思ひつつ、そのままになつてゐる。
それなりに見てゐる歌舞伎の方はまだましで、役者の名前を聞けば当代が浮かぶやうにはなつてゐるけれども、それでもなほ「誰某つて云つたら何代目のことだよなぁ」と思ひ込んでゐる名前もある。
アップデートしなければ、と云ひつつ、そんな気はさらさらないといふ証拠だらう。
だつて、虎造・米若・二葉百合子で十分楽しいぢやん。
まだ聞いてゐないものもたくさんあるしさ。
このままアップデートしなくてもいいだらうか。
落語や浪曲、歌舞伎についてはいまのままでもいいやうな気はしてゐるが、さて。
« 浮気心 | Main | なぜなに「飛ぶ教室」 »
« 浮気心 | Main | なぜなに「飛ぶ教室」 »
Comments