プレッシャーと創造性
創造的であるには (How to be creative)、ゆつたりした気分でゐること、とよくいはれる。
ジュリア・キャメロンが「The Artist's Way」でさう書いてゐるし、ジョン・クリーズも「Professor at Large」の中で何度もさういふ話をしてゐる。
ジョン・クリーズは、人の脳にはウサギ脳とカメ脳とがあるといふ。
ウサギとカメとはイソップ寓話にあるあの話の両名のことだ。
ウサギ脳はとにかく早く速くと効率を求める脳。
カメ脳はみづからの心の赴くままにあれこれ考へ行動してみる脳。
創造的であるには、カメ脳を優先する。
だが、カメ脳はウサギ脳に負けがちだ。
なぜならウサギ脳は「プレッシャー」といふ強い力を持つてゐるからだ。
つまり、プレッシャーやそれによるストレスにさらされてゐるときは創造性を発揮できないといふことだ。
さはさりながら、とも思ふ。
たとえば、〆切に追はれてゐるときの方があれこれ思ひついたりすることはないか、とかね。
柴田錬三郎が書いてゐた。
毎週「週刊新潮」に連載してゐた眠狂四郎について、〆切がせまつてゐるのにどうしても書けない。
これはおそらく〆切といふプレッシャーによつて創造的ではゐられない状態だからだらう。
だが、ふとした瞬間にひらめくものがあつて、それでなんとか連載一回分を書くことができる。
これはどう説明したらよからうか。
〆切によるプレッシャーはいよいよ強くなつてゐるはずだ。
しかし、ここで柴錬はひらめくのである。
作り話?
さういふ可能性もないではない。
創造的であるかどうかとはチト違ふが、やつがれもまた、似たやうな経験をしたことがある。
本番検証中に障害が発生して、原因をつきとめねばといふときに、ふと「原因はあそこだ!」とひらめくのだ。
なぜ本番にのせる前に気がつかなかつたのかと思ふが、とにかく突然ひらめく。
そして、そのひらめきは正しい。
どうやら人は過度のプレッシャーにさらされたときにも創造的になることがあるのではないか。
そんな気がする。
「過度のプレッシャーにさらされたときの創造性」に関してもちよつと探つてみることにするか。
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