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Friday, 11 October 2019

それでも文語を使ひたいか

文語と口語とを混ぜて使ふのつて、どうなんだらう。
ときどき考へる。

ビジネス文書は口語で書くこと、といふきまりがある。
旧文部省の「公用文の書き方 資料集」に「文語脈の表現はなるべくやめて、平明なものとする」とあるし、その付録には「なるべくわかりやすい自然な口語文を用いること」とあるので、それを受けてのことだらう。

ところで、やつがれは文語文については口語文でのそれに同等する教育を受けてゐないと思つてゐる。
口語文ではかうしてからうじて文章を書くことができるが、文語文ではできない。
必然的にビジネス文書も口語で書くことになる。

はずなのだが。
どうなんでせうね、実際のところ。

世の中にはいはゆる「文語脈の表現」があちこちにある。
たとへば、千野帽子の指摘する少年まんがのせりふとか。
「出よ、ナントカのカントカたる大魔王の僕なるナニガシよ!」みたやうなせりふね。
口語文なら「出ろ、ナントカのカントカな大魔王の僕のナニガシよ!」になるのだらうか。

それは呪文だから文語文でもいい、といふ話もあるか。
でも、文語文を使ひたいのだつたら全編それで通さないと気持ち悪くないだらうか。
気持ち悪くないんだらうな、たぶん。

ビジネス文書にも文語脈の表現はいくつもあるしね。
ここにも以前書いたやうに、人は気取つて書かうとすると文語脈の表現を使ひたくなるんだと思ふ。
文語脈の表現の方が正式に見える、とかね。
正式なのは旧文部省の資料にあるとほり現代口語文なのだらうが、人はさうは思はない。

で、やつがれのやうに文語文の教養の足りないものが、口語文と文語文の入り交ぢつたやうな(やつがれにとつて)気持ちの悪い文章を書いてしまふのだらうと思ふのだ。

もちろん、「ずつと口語文で書いてきたけど、ここはあへて文語脈の表現で書きたい」といふこともある。
人一倍気取り屋だつたりするやつがれにはある。
他の人のことは知らないけれど。

でもさういふときに教養のなさが邪魔をするんだよなあ。
なので、ビジネス文書など公の文書にはできるだけ「これは口語文のはず」と思ふ表現を使ふやうにしてゐる。
blogやTwitterはその限りではないけれどね。

といふやうなことをクイーンの「Teo Torriatte」を聞きながら考へてゐた。
歌の歌詞だから曲にあはせて口語文と文語文とが入り乱れるのは仕方がないと思ふけど、出だしはせめて「手をとりあひてそのままゆかむ」とかだつたらよかつたのになあと思はずにはゐられない。

あるいは文語脈の表現を全部口語にしておくとかね。

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