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Friday, 25 October 2019

懐古趣味

先日、「橋本治歌舞伎画文集〈かぶきのよう分からん〉」を久しぶりに読み直した。

「画文集」の名のとほり、橋本治の描いた役者絵や昭和の終はるころ「演劇界」に連載してゐた画文とを編んだ本で、1992年に出版された。

過去ばかりふり返つてゐる自分が、「やつぱりアクチュアルなものを見聞きしなきや」と思つてここ数年はやつてきた。
一月の浅草公会堂にも行くしな。
一月の浅草公会堂は演目の並びがとても歌舞伎らしくていいといふのもあるからね。

それで、橋本治の著書からも遠ざかつてゐた。
歌舞伎に関していふと、橋本治の影響が甚だ大きいからだ。
一番歌舞伎にはまつてゐたころ、否、はまりはじめたころに読んだのが橋本治の歌舞伎や江戸に関する本だからだ。
この「かぶきのよう分からん」もその中の一冊だ。

もともと、橋本治はあまり好きではなかつた。
高校生のとき、中学時代の友人が「桃尻娘」を勧めてきて、読んでみてなんとなくイヤな気分になつたからだ。
「桃尻娘」はよかつた。
「その後の仁義なき桃尻娘」とかだつたかなあ、なんとなくイヤな感じを覚えたのは。
人間の、すごく意地汚い部分を描いてゐる。
勧めてくれた友人にさう伝へると、「だつて世の中、さういふものでせう」といふやうな答へが返つてきた。
友人の方がずつと大人だつた。

さう云はれて、イヤなものはイヤだけれども、つづけて読んでいくうちに、「桃尻娘」以外の著書を読むこともあつた。
「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」とかね。
「ロバート本」と「デビッド百コラム」とか。

そのうち芝居見物をするやうになつて、橋本治のさういふ本を読むやうになつて、「広告批評」なんかも読んだりした。そのおかげで中村歌右衛門と淀川長治との対談も読めたんだからありがたい。

橋本治の歌舞伎や江戸に関する本をたまに読み返すと、まつたくその域から外に出られてゐないことを思ひ知る。
域を出るどころか、ほとんど理解できてゐないのだが、でも読むたびに「さうだよなあ」「さうなんだよなあ」「なんでほかの人はかういふことを云はないんだらう」と思つてしまふ。

「かぶきのよう分からん」もさうだ。

「演劇界」の連載のときに描かれた絵を見ると、その当時のことを描いた絵が案外少ないことに気づく。
なにしろ九代目市川團十郎の「鷺娘」なんか描いてゐるしね。
初代中村吉右衛門の幡随長兵衛も描いてゐる。
おそらく当時のものだらうなと思ふのは尾上梅幸のお軽と坂東玉三郎のマルグリットくらゐぢやあるまいか。
尾上菊五郎の虎蔵はたぶん若い頃、もしかすると菊之助時代に演じたものを描いたのではないかといふ気がするし、八代目坂東三津五郎や三代目市川左團次、守田勘弥などあのころもうあの世の人だつた役者も多い。

文章の方は当時のことを書いてゐるといへるけれども、絵と文章とがセットだから、三津五郎はインテリだから公家悪がよかつたとか、左團次の求女に歌右衛門のお三輪、先代中村芝翫の橘姫の道行きがよくてよくて、といふ話が出てくる。
九代目團十郎の絵には九代目團十郎に関する話がついてくる。

それを読んでゐると、「昔の話をしてもいいんだな」と思へてくるのだつた。
もういつそ、過去に見た記憶の中の芝居や役者のことだけ考へていかうかな、とかね。

アクチュアルなものを見聞きしなけりやと人は云ふ。
橋本治もアクチュアルなものを見聞きしての「かぶきのよう分からん」だつたのだらうと思ふ。

わかつてはゐても、古いものはなにもなにも懐かしいのだつた。

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