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Thursday, 26 September 2019

風流はどこぢや、どこぢや

昨日歌舞伎座の夜の部を見てきた。
なかに「松浦の太鼓」といふ芝居がある。
浅野内匠頭の死後、尾羽打ちからした浅野浪人・大高源吾が十二月のある日両国橋で俳諧の師匠・宝井其角に出会ふところから話ははじまる。

浅野家の家臣だつたころ、大高源吾は其角らと親しくまぢはり、俳諧を楽しんでゐた。
子葉といふ俳名を名乗り、音に聞こえた俳諧の名手でもあつた。

みすぼらしい身なりで煤払ひの竹を売り歩く源吾に、其角は訊く。
「風流の道はお忘れではありませぬでせうな」と。

間近に吉良家討ち入りを控へ、あまり内証を知られたくない源吾は答へる。
幸ひひだるい思ひをすることはないが、現在のやうなその日暮らしをしてゐては、風流の道などとてもとても、と。

実際のところ、このあと其角に「年の瀬や水の流れと人の身は」といふ句につけてくれと請はれて、源吾は「明日待たるるその宝船」と句をつける。
なによー、風流の道などとてもとても、とか云つておいてさ。
と思ふわけだが、でもやはり「その日暮らしをしてゐては、風流の道などとてもとても」といふのは真理だと思ふのだ。

逆に考へてみると、風流の道を解さずに立身出世ばかりしても、それはどうよ、とも思ふのである。

こどものころは、世に出るには美術や音楽の知識は不可欠だと思つてゐた。
世の中の人と話をするのに必要だと思つてゐたのである。
いまはさうぢやないのだらうか。

といふのは、最近また「びじゅチューン!」にふれることがあつて、Twitterで「びじゅチューン!」に関する呟きを追つてみたところ、クイズ番組などで難解なクイズに即座に答へられる学生も、有名な絵画の題名はわからないといふ例がある、と聞いたからだ。

無論、題名だけ知つてゐても意味はない。
実物を見たことがなければダメだ。
さういふ意見もあらう。
だが、知らないといふことはゼロといふことだ。
題名だけ、作者だけでも知つてゐるのとは雲泥の差なのぢやあるまいか。

格差社会の話が出ると、こどものうちの展覧会や演奏会、海外旅行に行つた経験の有無が問題になる。
クイズ番組に出るやうな学生は、格差社会の中ではイヤな云ひ方だが上の方にゐる人たちだらう。
それでも絵の題名はわからないといふ。

風流の道の廃れ具合は、格差社会だけでは語れない状況なのかもしれない。

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