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Friday, 13 September 2019

登場人物が多すぎる

五年前に読んだ第一次世界大戦に関する本をすこしづつ読み返してゐる。
あのころ、第一次世界大戦開戦から百周年といふことで出版された書籍だ。

読み始めると、まづ、第一次世界大戦研究のむつかしさについて書かれてゐる。

第一に、資料の数が膨大であること。
第二に、その膨大な資料のうち、関係者の手がけたものは信用がおけないものが大半だといふこと。
第三に、膨大な資料の中にロシア・旧ソ連の資料はほとんどないこと。
第四に、登場人物が多すぎること。人物、といはうか、国家、かな。

世の中には、資料がなくて研究がむつかしいといふこともあるが、多すぎてどうにもならないといふこともあるのだなあ。

しかも、関係者の手による資料があてにならないといふのも痛い。
人間、自分のことはよく書きたいし、あとから書いたら、その時点ではどうだつたかなんて記憶にないだらうし、あつたとしても改竄されたあとだらう。
英国の外相だつたグレイの手記には自己の過大評価はほとんどない、と書いてあるけれど、ぢやああてになるのかといふと、どうなのかなあ。

かういふ場合つてどうするんだらうか。
おなじことを書いてゐる部分を集めてきて推理するのかな。
それはおもしろさうな気もするが、ここに第四の「登場人物が多すぎること」が関はつてくる。
本に書かれてゐるのは国の数だけで七カ国、それにバルカン半島諸国が加はる。

ドイツとオーストリア=ハンガリーは、ドイツ語を使つてゐるものとみなしても、資料を読むのに最低七カ国語を読んで理解する能力が必要になる。

この本はさうしたさまざまな問題を乗り越えて書かれたものなんだらうな、と思ひつつ。
やつぱりほかの本も読んでみなきやだよな、と思つてしまふ。

問題は、どの本も大部だ、といふことか。
そりやさうだよな。
もととなる資料が膨大で、登場人物がたくさんゐるんだもんな。
しかも登場人物が分裂したり合併したりするし。

ちよつと時間をかけてゆつくり読むつもりだ。

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