手帳可愛や
手帳は使へば使ふほど愛ほしくなつてくる。
苦楽をともにしてきた仲だからか。
自分のことをなにもかもなにもかもわかつてゐる相手だからか。
つきあふうちに、手帳の紙幅は尽きていく。
残りが少なくなればなるほど愛ほしい。
だが別れの時はもう間近。
さうするとなほ恋慕は募る。
別れといつて、捨てるわけでなし、家に帰ればゐるのだが。
けれども以前のやうに常に一緒にゐるわけではない。
なにかのをりに見返しては「あのときはあんなことがあつたなあ」などと懐かしく思ふばかり。
新たなことを書き込むことはあまりない。
たまにはある。
見返して、あのときはああ書いたけれど、いまはかう思ふ、だとか。
あのときはわからなかつたけれど、かういふことだつたんだよ、だとか。
余白に書き足すこともあれば、付箋を使ふこともある。
それにしても別れ難い。
かうして手元にたまりゆく手帳は、やがてはゴミになるはずだ。
中身は誰の目に触れることもなく、よくて資源ゴミ、少なくとも燃えるゴミとして処分されることだらう。
わかつてゐて、なぜ書くのかと我ながらふしぎでならない。
たまに書かなくなるのは「なぜ」が主張してゐるときだらう。
現在、Rollbahn を使つてゐて、愛用してゐる中屋万年筆の細軟のペン先のすべりが実になめらかで気持ちがいい。
それでいいぢやあないか。
その Rollbahn も残り少ない。
一足早く来年の Rollbahn を使はうか、と思はないでもないのだが、さて。
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