歳三の写真 歳三の書
草森紳一の著書に「歳三の写真」といふ本がある。
土方歳三の写真を見て感じるところがあつて書いたものだと聞いてゐる。
土方歳三の有名な写真では、歳三は写真機に対して斜めに座つて写つてゐる。
草森紳一は、これをめづらしいといふ。
当時の写真には、正面切つて写つてゐる人が多い、といふのだ。
云はれてみれば近藤勇がさうだし、高杉晋作や西岡慎太郎もさうだつたやうな気がする。
松平容保もさうだし……と正面から撮られてゐる人物を思ひ出すよりは斜めに写つてゐる人をあげた方が早いか。
坂本竜馬は斜めだし、本人ではないといはれてゐるが西郷隆盛も斜めに写つてゐる。
桂小五郎にはかなり気楽な感じで写つてゐる写真があつて、もしかしたら名前を改めてから撮つたものなのではないかと思つたりもしてゐる。
あまり幕末のことなど知らないやつがれでも三人くらゐはぱつと斜めな人を思ひつくのだから、ひとり土方歳三ばかりが斜めに写つてゐるわけでもなからうが、単に斜めに写つてゐるのが有名人ばかりといふ話もあるので、ここでは草森紳一の言を尊重したい。
そこから、草森紳一は土方歳三をちよつと斜に構えた人物だ、と論じる。
そして、土方歳三の書について言及する。
幕末の志士の書は、形式や技術にとらはれることなく裂帛の気合ひをぶつけた迫力があり、「拙」ではあるがそこには書法があつて、見るものの心を打つ、と書いたあと、
「歳三の書は、すこしこれらと違ってきっちり技術とスタイルを押えたうえでの拙で、その拙によく自分の心をのせており、繊にして艶である」
「とかく斜に構える意識の人「歳三」はま、まずスタイルから入る人なのである。スタイルの書は、芸術志向であるから、おのずから内に兵法をふくんでいる。裏表の策略謀略をふくむ。書体洗濯はもちろん、一字一句、一行一行、さらに全体のバランス、つまり構図を意識する。構図取りを無視しない。剣術と同じである。」
うーん、かう書かれると土方歳三の書を見てみたくなるなあ。
幕末の志士の書も。
草森紳一は、「形式や技術にとらはれることのない」すなはち基本を学んだとは思へないがしかし勢ひのある字もよしとしてゐるが、一通り基礎は学んだであらう土方歳三の書もよしとしてゐる。
目指すべきは歳三の書なんだらう。
基礎基本がなくてなんの癖字。
さううそぶきたいところだが、いまから基礎基本を学ぶのは至難の業だらうなあ。
「歳三の写真」には京都で書籍を求める伊庭八郎の話なども掲載されてゐて、これがまたおもしろく、是非手元に置きたいと思つてゐるのだが絶賛品切れ中である。
惜しいことだ。
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