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Monday, 30 September 2019

甘い見積り

昨日、Dane Shawl の整形をした。
Opal のくつ下毛糸で編んだものでもあるし、普通に洗濯機でほかのものと一緒に洗つた。
洗濯機から取り出してみたらばこは如何に。
大きいぢやあないか。

編み終はつた直後は、「まあ、こんなもんかな」といつた大きさだつた。
編み方では350m/100gのくつ下毛糸で編んでゐて、写真を見ると女の人がショールの両端を持ち、両腕をいつぱいに広げてゐる。ショールは最大限まで引き延ばされてゐるやうに見える。

こちらは400m/100gのくつ下毛糸で編んで、編み方よりも模様を一つ増やした。
編み方通りだと小さいやうに感じたからだ。毛糸も指定より細いしね。
一模様増やして、毛糸の残りも心細くなりそこでやめて編み上がつたショールを手に取つた感じは、「写真くらゐかな」だつた。

レース模様のショールをなめてましたな。
のばしたらこんなに大きくなるのか。
とはいへ、やはり前で交差して背中で結ぶほどには大きくないかな。
昨日は蒸したから試しに羽織つてみることはしなかつたけれど、たぶん、ムリだと思ふ。

Dane Shawl は裏メリヤス編み部分も多いけれど、久しぶりに棒針編みをしたわりには十日で編み終はつた。
久しぶりだから楽しかつたといふこともあるかもしれない。
どう編めば蹄鉄型になるかもわかつたので、デンマーク風のショールはもう一枚編んでみたいと思つてゐる。

今度はちやんと背中で結べるやうな大きさのをね。

Friday, 27 September 2019

一挙上映とbinge-watching

日曜日に新文芸坐の「仁義なき戦い」一挙上映に行つてきた。
これを binge-watching と呼べるのか。

binge-watching とは、主にTVドラマについて使はれることばのやうに思ふ。
binge-watchingとは、NetflixなりAmazon PrimeなりHuluなり、あるいはケーブルTVやディスクなどで、TVドラマを一気に何話もたてつづけに見ることだ。

これにはよい面もあるといふが、鬱や孤独感、肥満などと関係があるといふ研究結果もある。

以前、binge-watchingよりも毎日あるいは毎週一度、決まつた時間に一話だけ見るのが自分には向いてゐる、といふ旨のことをここに書いた。

その方が記憶に残るし、なにしろ「明日はどうなるんだらう」とわくわく待つあひだも楽しい。

でもそれは、家で見るTV番組の話だ。
映画館で見る映画としては、どうだらう。

試してみないことにはよくわからないが、自分の好みとしては、映画も映画館で一作品づつ見た方がいい気がしてゐる。
その方が集中して見られる気がするのだ。

とはいへ、映画館といふのは映画を見るところだ。映画を見ることに特化した場所ともいへる。
そこで見るなら、そして話がつづいてゐるのなら、何本かつづけて見ても binge-watching とはいへないのではあるまいか。

つづけて見ることで気がつくこともあるしね。
「仁義なき戦い」でいふと、「広島死闘編」では極道と県警とのあひだには取引があつて、県警のえらいさんは北村英三だ。
それが「完結編」になると県警側も取締りを強化してゐて、出てくるのは鈴木瑞穂だつたりする。

手打ち式と葬式とは異様に似てゐる、とかね。
一挙に五作品を見て、なんだかものすごくたくさん葬式の場面を見たやうな気がしてゐたけれど、考へてみたらあれは手打ち式、みたやうな場面もいくつかあつた。
手打ち式も葬式も、互ひの結束を確認しあふ場なのだらう。

「つまらん連中が上に立つたから、下の者が苦労し、流血を重ねたのである」とは、「完結編」で主人公・広能昌三が網走刑務所の中で書いた手記の中のことばとして登場する。
これも第一作からつづけて見てゐると、「なぜさうなのか」と思つてしまふ。
そして、第一作から見てくると、締めくくりのことばとしてこれほどふさはしいものもまたないなとしみじみ思ふ。

通して見ると、この映画に出てくる「上に立つ」連中の共通点は、greedy で coward だ。
ことさらにさう描いてゐるのだらうとは思ひつつ、結局生き残るのに必要なのはこの二点なのではないか、この二点のバランスなのではないかといふ気もしてくる。
それくらゐ金子信雄の演じる山守義雄も内田朝雄の演じる大久保憲一も魅力的だ。
第一作などは山守義雄の成長物語なのではないかと思ふくらゐ、話の進展にあはせて変容していくさまが見事である。

欲が深く臆病であることは人としての欠点だらう。
しかし、生き延びていくには欲が深くなければならないし、同時に臆病なほど注意深くなければならない。

おそらく、映画を見る人は、苦労して殺されていく「下の者」たちに感情移入するのだらう。
自分を中のひとりに見立てることもあるだらう。
山守義雄や大久保憲一のやうになりたいと思ふ人間は少ないのではあるまいか。
さうでもないかな。
でも実際に上に立つのはかういふ人物で、下の者の苦労など考へてもみない。
それは、会社の上下関係そのもののやうにも思はれる。
だからよけいに人は苦労の挙げ句殺されていく「下の者」に自分を重ねあはせるのぢやないかなあ。

などといふことは、一挙に見なくても感じたことではある。
ただ、映画館といふ映画を見るための場所で一挙に見たから強く感じ得たこともあると思つてゐる。

見終はつた直後はさすがに「もう一挙上映はいいや」と思つてゐたが、来年もあるのならまた行つてゐるやうな気もする。

一挙上映といへば、「人間の條件」、やらないかなあ。

Thursday, 26 September 2019

風流はどこぢや、どこぢや

昨日歌舞伎座の夜の部を見てきた。
なかに「松浦の太鼓」といふ芝居がある。
浅野内匠頭の死後、尾羽打ちからした浅野浪人・大高源吾が十二月のある日両国橋で俳諧の師匠・宝井其角に出会ふところから話ははじまる。

浅野家の家臣だつたころ、大高源吾は其角らと親しくまぢはり、俳諧を楽しんでゐた。
子葉といふ俳名を名乗り、音に聞こえた俳諧の名手でもあつた。

みすぼらしい身なりで煤払ひの竹を売り歩く源吾に、其角は訊く。
「風流の道はお忘れではありませぬでせうな」と。

間近に吉良家討ち入りを控へ、あまり内証を知られたくない源吾は答へる。
幸ひひだるい思ひをすることはないが、現在のやうなその日暮らしをしてゐては、風流の道などとてもとても、と。

実際のところ、このあと其角に「年の瀬や水の流れと人の身は」といふ句につけてくれと請はれて、源吾は「明日待たるるその宝船」と句をつける。
なによー、風流の道などとてもとても、とか云つておいてさ。
と思ふわけだが、でもやはり「その日暮らしをしてゐては、風流の道などとてもとても」といふのは真理だと思ふのだ。

逆に考へてみると、風流の道を解さずに立身出世ばかりしても、それはどうよ、とも思ふのである。

こどものころは、世に出るには美術や音楽の知識は不可欠だと思つてゐた。
世の中の人と話をするのに必要だと思つてゐたのである。
いまはさうぢやないのだらうか。

といふのは、最近また「びじゅチューン!」にふれることがあつて、Twitterで「びじゅチューン!」に関する呟きを追つてみたところ、クイズ番組などで難解なクイズに即座に答へられる学生も、有名な絵画の題名はわからないといふ例がある、と聞いたからだ。

無論、題名だけ知つてゐても意味はない。
実物を見たことがなければダメだ。
さういふ意見もあらう。
だが、知らないといふことはゼロといふことだ。
題名だけ、作者だけでも知つてゐるのとは雲泥の差なのぢやあるまいか。

格差社会の話が出ると、こどものうちの展覧会や演奏会、海外旅行に行つた経験の有無が問題になる。
クイズ番組に出るやうな学生は、格差社会の中ではイヤな云ひ方だが上の方にゐる人たちだらう。
それでも絵の題名はわからないといふ。

風流の道の廃れ具合は、格差社会だけでは語れない状況なのかもしれない。

Wednesday, 25 September 2019

年間スケジュール表の使ひ道

手帳にある年間スケジュール表の使ひ方が決まらない。
Web検索してみると、悩んでゐる人も多いやうだ。
家族や友人の誕生日や記念日などを書いておしまひな場合や、なにも書き込まぬままの場合もあるといふ。

実をいふとやつがれもそんな感じで、芝居見物の予定や、手帳を使ひはじめる時点で判明してゐる予定を書き入れて、あとはそのままといふことが多かつた。
ここ数年はスケジュール帳ではない手帳を使つてゐたこともあり、年間スケジュール表とはさつぱり縁がなかつた。

Web検索した結果、資格取得や試験合格を目指す人は年間スケジュール表に計画を記すといいといふ。
それはいい使ひ方だな。
就職活動などもそんな感じだらうか。
長期間に渡る仕事に携はつてゐる場合もよからう。

残念ながらさういふ予定はまるでないので、この使ひ方はできない。

予定表としてではなく、記録として使ふといふ手もあるといふ。
走つたり歩いたりした日にチェックをつけるとかね。
ラジオ体操のはんこを押すやうなのもだらうか。
世の中では最近これを「トラッカー」などと呼んでゐる。
Bullet Journal でもトラッカーを使つてゐる例は多い。
ご多分に漏れずやつがれもトラッカーを取り入れたことがあつた。
でもあまり続かなかつた。
トラッカーをつけなくても、やることはやつてゐるからだ。
また、トラッカーをつけてもやる気と結びつかない。
「続いてるな。続けられてるな」と思ふことでやる気を出すといふのがトラッカーの使ひ方のひとつかと思ふが、続いてゐても、全然やる気が出ないのである。
続けてゐるんだからやる気はあるんだらうけれど、なんというか、かう、淡々とただ続けてゐるといふ感じだ。
トラッカーにも向き不向きがあるのだらう。

といふわけで、とりあへず展覧会の予定でも書き込まうかと思つてゐる。
展覧会は会期も長いし、年間スケジュール表に書き込むのにとても向いてゐる。
問題は、ここ最近あまり展覧会らしい展覧会には行つてゐないといふことか。
とはいふものの、今年は「Writing: Making Your Marks」展だとか、まんが展だとか、三国志展だとかに行つてゐて、例年になく展覧会に行つてゐる方ではあるのだが。

展覧会は嫌ひなわけでもないし、ちよつとつけてみやう。あとは映画の予定とかでもいいかもしれない。

Tuesday, 24 September 2019

レース糸と駆け込み需要

あみものではヴェスト用の毛糸を購入したが、タティングレース用にはなにも買はないつもりでゐた。
消費税増税前には、だ。

新たなタティング用品は必要ない。
あとは結ぶだけ。

さう思つてゐたのだが、ひとつだけ買ひ物をしてしまつた。
DMCの刺繍糸 #12 の水色だ。
水色といふよりは、先日も話した periwinkle (ツルニチニチサウ) に近い。
どこか紫がかつた水色だ。
これを「孔明ブルー」と呼びならはしてゐる、とは以前ここにも書いた。

「人形劇三国志」に出てくる諸葛孔明の衣装の色にこんな水色があるのだつた。
現在は「三国志展」のために九州にゐるだらうと思ふのだが、普段は飯田市川本喜八郎人形美術館にゐる。
「三国志展」では番組終了間際に身につけてゐた白い衣装を着てゐるが、飯田では展示の内容によつては登場当初の黒い衣装でゐるときもある。

この黒い衣装の下に着てゐるのが、「孔明ブルー」と読んでゐる水色の衣装だつた。
「だつた」と書いたのは、現在では色が褪せてしまつて真つ白になつてゐるからだ。

ほかにも「玄徳ブルー」と呼んでゐる色がある。
日本橋丸善のインキ、エターナルブルーのことだ。
ちよつと字幅の太い万年筆に入れて濃淡のある線を書くと、淡い方の色が「人形劇三国志」で玄徳の着てゐた衣装を思はせるやうな色に見える。
残念ながら現在は細字のペンに入れてゐて、あまり玄徳を思はせるところはない。
そのうち中字のペンにでも入れて……と思はないでもない。

曹操レッドといふのは絶対あると思ふのだが、いまだ出会へてゐない。
「人形劇三国志」の曹操は赤い衣装が実にうつつてステキなのだつた。
さういえばオリムパスのエミーグランデにチャイナレッドとでも呼びたいやうな赤い糸があつた。
あれなんかは金色の糸とあはせたりしたら「曹操レッド」と呼んでもいいやうな気がするなあ。

などと考へてゐると、「いまのうちにエミーグランデを買つておくか」、とか無駄遣ひのことばかり考へてしまふので、このあたりしておくとしやう。

Monday, 23 September 2019

ショール完成せず

ショールが編めてゐるのに、完成できずにゐる。
整形できないんだな。
この三連休は毎日出かけてゐて、整形どころの騒ぎではなかつた。

整形するのは、そんなにむつかしいことではないではないか。
さうも思ふ。
くつ下毛糸を使つてゐるし、洗濯機で洗つて干せばいい話だ。
さうなんだけど、できないんだよなあ。

整形が苦手だからといふこともあるし、仕上げはきちんと丁寧にしたいからといふこともある。
まあ、所詮雑な性格だし手先も不器用なので「きちんと丁寧に」にもおのづから限界はある。
でもそこは心持ちの問題だよね。

といふわけで、整形は次の休みに持ち越し。
また突然暑くなつたりもしてゐるのでそれでいいだらう。

次なるあみものといふことで、パピーのシェットランドを買つてきてゲージまでは取つた。
これはいはゆる「ヲタ編み」になる予定で、元となる編み図や編み方はない。
自分で袖ぐりや襟ぐりの減目を割り出す必要がある。
なので、ゲージを取つたところではふつてある。
そんなことしてたら手が変はつてしまふ気もするが、まあ、そこはそれ、だ。
どうせゲージを取るときはちよつと手が緊張気味だし慣れてもゐないのできつくなつてゐるはずだし。
あみものつてさういふところいい加減だよね。
編み地も伸縮性があるからそれでいいやうな気もする。

でも仕上げはできるだけきちんと丁寧にしたい。

Friday, 20 September 2019

メガネを新調する

メガネを新調することにした。

先月のはじめ、十五年ほど愛用してゐる普段遣ひのメガネのレンズに傷がついてしまつた。
遠くはあまり見えないものの、近くは問題なく見えるメガネだつた。
ほかに観劇用の遠くがよく見えるメガネを持つてゐるが、これは手元を見るには向かない。
普段遣ひのメガネがダメになつてからといふもの、この観劇用のメガネをかけてゐて、いまもかけてゐるが、肩がこるやうになつた。
本もあまり読めない。
それでメガネを作ることにした。
無論、消費税率のあがる前に作らねばと思つてのこともある。

作るまでに時間がかかつたのには、なかなか眼鏡屋に行く暇がなかつたからといふこともあるのだが、はたしてどんなメガネを作つたものか悩んでゐたからといふこともある。

候補は二つあつた。
遠近両用メガネと老眼用のメガネとだ。
老眼用のメガネだつたら、ひとまづは百円均一の店にあるものを試してみて、それですませるつもりだつた。

なぜ老眼用のメガネにしなかつたのか。
理由は、いちいち掛け替へるのが面倒であることと、メガネを別に持ち歩かねばならないことだ。
通勤電車の中でメガネを掛け替へる不便を考へたら、遠近両用メガネの方がよからう。
平日に出勤して帰宅するくらゐのことなら裸眼でもなんとかなりさうな気はしてゐる。
だが、おそらく両目とも0.2くらゐしか見えてはゐないので、そしてときには0.1をきることもあるので、視力をまつたく矯正しない状態で外を歩くのはなんとなく不安なのだつた。
自宅では裸眼で過ごしてゐることも多いんだけれどもね。

ただ、遠近両用メガネといふのがどういふものなのかわからないといふ不安もあつた。
観劇用のメガネも以前よりは見えづらくなつてゐることもあるし、遠近両用が無理だつたら近眼用のメガネを新調することにして、ひとまづ眼鏡屋に行つてみることにした。

実際に視力をはかつてもらふと、老眼の方はそれほど進んでゐないといふことがわかつた。
考へてみたら健康診断の視力検査では近くを見る視力に問題があるといはれたことはない。
健康診断では、手元の視力は50cm離れたところを見るときの視力をはかるといふことだつた。
それくらゐはなれてゐたら観劇用のメガネをかけてゐても問題なく見える。
しかし、実際に本を読むときに50cmもはなして読むだらうか。
スマートフォンにしても然りだ。

遠近両用にすると、かういふ風に見えるやうになる、といふレンズもかけさせてもらつた。
床を見るとふはふはとゆがんで見えるのがちよつと怖いが、歩く分には問題なささうだ。
慣れるまでは階段を降りるときは手すりにつかまるやうだらう。

フレームも、一度はほしいと思つてゐた frost にした。

新しいメガネは来週にはできあがるさうだ。
近くを見るのに苦労しなくなつたら、本も読めるやうになるだらう。
といふわけで、これまた消費税の上がる前にせつせと本を買ひ込んでゐる。

買ひ込まなくても十分本はあるといふのにね。

Thursday, 19 September 2019

消費税の上がる前に

ぺんてるはプラマンの限定色を買つてしまつた。
バーガンディ・ブルーブラック・オリーブグリーン・ダークグレイ・ターコイズブルー・セピアの六色である。
いづれもいい色で、ブルーブラックは普通に使へる色だし、ターコイズブルーは発色がよく強調したい部分に使ひたいやうな感じだ。
限定といはず、定番にしてほしい色ばかりだ。

普段、万年筆ばかり使つてゐるやつがれが、ほかに日々使つてゐる筆記用具がプラマンだ。
通常のプラマンは軸が細いので、長く書くのには向かない。少なくともやつがれはダメだ。
なのでトラディオ・プラマンを愛用してゐる。
Bullet Journal の見出しなどを書くのによく、普段使ひもできるいいペンだ。

今回の限定色も、普段使ひにしたいし、Bullet Journal にいいんぢやない、と思つてゐるのだが、軸の細さだけが気になる。

Bullet Journal は Rapid Logging を標榜してゐる。
一度に書く字は短いものが多い。
基本的に箇条書きで書くしね。
でも書き出すと書きたいことがいろいろ浮かんできてたくさん書いてしまふ。
愛用の筆記用具でならなほさらだ。

といふわけで、ペンジャケットの購入を考へてゐる。
伊東屋のペンジャケットは、登場したばかりのころ実際に見に行つた。
なにしろ使つてゐるのがトラディオ・プラマンなので、見ても自分には必要ないなあといつたところだつたが、突然ペンが六本も増えたことだし、ここはペンジャケットの購入を考へてもいい気がしてゐる。

消費税が上がる前に、といふ云ひ訳もきくしな。

Wednesday, 18 September 2019

反省

自分の力ではどうしやうもないことでイライラするのはやめにしたい。
さう思ひつつ、どうしやうもできない。

昨日の朝も今朝もバスが遅れて来る。
いつ来るかわからないバスをただただ待つ。

昨日の朝は電車も遅れた。
踏切を確認したせゐだといふ。
JR東日本は11/16に山手線と京浜東北線を止めて工事をするのだといふ。
そんなことをしてゐる暇があるのなら、踏切部分を高架にするなり地下に潜らせるなりするのが先だらうよ。

しかも、今月はまともなダイヤで走つた日が片手の指で足りるくらゐしかない。
#台風15号の件は考へないとしても。

先々週などは三回が三回とも同じ路線での事故による遅延だつた。
なぜその路線に手を入れて事故が起きづらいやうにしないのか。
前々からそこの路線で事故が多いことはわかつてゐるぢやあないか。

なぜバスや電車が遅れるとイライラするのか。
それは、自分にはなんら落ち度はないのに自分の時間が奪はれてしまふからだ。
朝なら遅れた分余計に働かなければならず、その時間は睡眠時間を削ることでしか賄へない。
夜ならやはり遅れた分だけ睡眠時間が削られる。

いまやもうなにかあつたら睡眠時間しか削るところがない。
そりやイライラするのもむべなるかなといつたところだ。

だつたら公共交通機関を使はなくても行けるところで働けばいい。
でもそれつて、かんたんなこと?
公共交通機関が遅れるのつて、やつがれのせゐなのかな?
だつたら仕方がないとも思ふけど、違ふよね。

さう、自分は悪いことはしてゐない、むしろきちんと時間通りに出勤しやうとしてゐる。
それなのになぜ遅れなければならないのか。
いつそのこと、きちんとしなければいいのかな、とも思ふ。

きちんとしてゐると思ふから、なにか自分に不利になることが起こると納得がいかないのだ。
普段からちやらんぽらんに過ごしてゐたら、なにか不利になるやうなことがあつても「仕方ないか、ちやらんぽらんなんだし」ですますことができる。
しかし、ちやらんぽらんに暮らしてゐたらまづ時間通りに出勤することなどかなはぬだらう。

もうひとつ、自分の思ひ通りにことが運ばないからイライラしてしまふ、といふこともある。
まあどんだけ自己中心的なんでせうね、といふ話だが、事実のなのだから仕方がない。
これまで生きてきて、そんなになにもかも自分の思ひ通りに進んできたらうか、と考へて、そんなことはまつたくないと思ふのだが、それでも自分の思ひ通りにことが進まないとダメなんだな。
お子さまか!
アンドリュー・フォークか!

と思ふが、事実は事実として受け止めるしかない。

世の中は自分の思ひ通りにはゆかない。
他人はこちらに都合のいいやうには動いてくれない。
それはわかつてゐるつもりだし、至極当然のこととも思つてゐる。
そのはずなんだけれどもなあ。

わかつてゐるんだから、なんとかしやうもあらうといふものだが、突差にはなにも思ひつかない。

とにかく、バスが来なからうが電車が遅れてゐやうが、「おもしろくなつてきたぜ」と思ふことにする、くらゐしかできさうなことはないなあ。

さう思つたことでなにかものごとがうまく進むわけではないのだが、と考へてしまふといふところがまだまだ修行が足りない証拠なのだつた。

Tuesday, 17 September 2019

物欲の翳り

Dreamlit といふ新しいタティングシャトルが発売されてしばらくたつ。
なぜかこれをほしいと思はない。

Dreamlit はプラスチック製のシャトルで、かぎ針がついてゐて、ボビンに糸を巻き付けるやうになつてゐる。
シャトルは上下にわかれ、通常は磁石の力で上と下とがくつついてゐる。

ボビンシャトル好きでかぎ針つき好きとしては、是が非でもほしい。
そんなシャトルだと思ふ。

だといふのに、全然物欲がわかない。

もちろん、見たところボビンにあまり糸が巻けない感じがするとか、好きな色がないとか、理由もないわけぢやない。
でもなあ、いつもだつたらとびついてるはずなんだがなあ。

いま手持ちのシャトルで満足してゐるから、といふことはある。
かぎ針つきボビンシャトルとしては、以前から GR-8 Tatting Shuttle が気に入つてゐるし、Aerlit もいい。Silent Shuttle もいいし、クロバーのシャトルも遣ひやすいと思ふ。

また、いまクロバーの角つきシャトルを使つてゐて、これがすこぶる遣ひやすい。
やはり定番はいいのだつた。

Dreamlitもそのうち買つてゐるやうな気はする。

いまこのときではないつてだけで。

Monday, 16 September 2019

如何に編み終へるか

Dane Shawl も最後の段を半分編んで伏せ留めをすればいいところまできた。

夕べ編みながら考へた。
このまま一気に伏せ留めまで終へてしまふか。
さうしたら朝起きてすぐ水通しができる。

かつて、さう考へて一気に編まうとして失敗した過去が脳裡をよぎる。
最初のころはセーターだつた。
2枚目の袖が編めた。
このままとじ合はせてセーターとしての形は完成させてしまはう。

ところがここからが長いんだな。
早くセーターとしての形をみたいといふ気持ちがいけない。
なかなかとじ合はせられなくなる。
それでなくてもとじ合はせは苦手だし好きではない。

そんなわけで、結局夜のうちには完成できず、徒労感だけを抱へて布団に入ることになる。
学校に通つてゐるうちはそれでもよかつたけれど、働きはじめると平日にはなかなか時間が取れなくて、完成は次の週末を待つことになる。

さういふ経験を積み重ねて、といふほど編んではゐないけれど、完成は急がないやうになつた。
すくなくともセーターなどの大物はね。
あとショールなどのやうに伏せ留めの長いものもさう。
くつ下のやうに伏せ留めするにしてもさして大した長さはないし端糸も基本的には編みはじめと編みおはりだけといふやうな場合はまた別で、一気に完成形までいくけれども。

編み方指南の本はいくつもある。
でもかういいふのつて個人差もあるし、何度か編んでみないとコツといふはうかノリといはうかがというのはつかみづらいといはうか、つかめない。

ところで毛糸の残りが心もとない。
何度も経験してゐるはずなのに、どうしていつもかうなるかな。
ま、たまには「毛糸、足りないかも!」などとハラハラするのも一興か。

Friday, 13 September 2019

登場人物が多すぎる

五年前に読んだ第一次世界大戦に関する本をすこしづつ読み返してゐる。
あのころ、第一次世界大戦開戦から百周年といふことで出版された書籍だ。

読み始めると、まづ、第一次世界大戦研究のむつかしさについて書かれてゐる。

第一に、資料の数が膨大であること。
第二に、その膨大な資料のうち、関係者の手がけたものは信用がおけないものが大半だといふこと。
第三に、膨大な資料の中にロシア・旧ソ連の資料はほとんどないこと。
第四に、登場人物が多すぎること。人物、といはうか、国家、かな。

世の中には、資料がなくて研究がむつかしいといふこともあるが、多すぎてどうにもならないといふこともあるのだなあ。

しかも、関係者の手による資料があてにならないといふのも痛い。
人間、自分のことはよく書きたいし、あとから書いたら、その時点ではどうだつたかなんて記憶にないだらうし、あつたとしても改竄されたあとだらう。
英国の外相だつたグレイの手記には自己の過大評価はほとんどない、と書いてあるけれど、ぢやああてになるのかといふと、どうなのかなあ。

かういふ場合つてどうするんだらうか。
おなじことを書いてゐる部分を集めてきて推理するのかな。
それはおもしろさうな気もするが、ここに第四の「登場人物が多すぎること」が関はつてくる。
本に書かれてゐるのは国の数だけで七カ国、それにバルカン半島諸国が加はる。

ドイツとオーストリア=ハンガリーは、ドイツ語を使つてゐるものとみなしても、資料を読むのに最低七カ国語を読んで理解する能力が必要になる。

この本はさうしたさまざまな問題を乗り越えて書かれたものなんだらうな、と思ひつつ。
やつぱりほかの本も読んでみなきやだよな、と思つてしまふ。

問題は、どの本も大部だ、といふことか。
そりやさうだよな。
もととなる資料が膨大で、登場人物がたくさんゐるんだもんな。
しかも登場人物が分裂したり合併したりするし。

ちよつと時間をかけてゆつくり読むつもりだ。

Thursday, 12 September 2019

歳三の写真 歳三の書

草森紳一の著書に「歳三の写真」といふ本がある。
土方歳三の写真を見て感じるところがあつて書いたものだと聞いてゐる。

土方歳三の有名な写真では、歳三は写真機に対して斜めに座つて写つてゐる。
草森紳一は、これをめづらしいといふ。
当時の写真には、正面切つて写つてゐる人が多い、といふのだ。
云はれてみれば近藤勇がさうだし、高杉晋作や西岡慎太郎もさうだつたやうな気がする。
松平容保もさうだし……と正面から撮られてゐる人物を思ひ出すよりは斜めに写つてゐる人をあげた方が早いか。

坂本竜馬は斜めだし、本人ではないといはれてゐるが西郷隆盛も斜めに写つてゐる。
桂小五郎にはかなり気楽な感じで写つてゐる写真があつて、もしかしたら名前を改めてから撮つたものなのではないかと思つたりもしてゐる。

あまり幕末のことなど知らないやつがれでも三人くらゐはぱつと斜めな人を思ひつくのだから、ひとり土方歳三ばかりが斜めに写つてゐるわけでもなからうが、単に斜めに写つてゐるのが有名人ばかりといふ話もあるので、ここでは草森紳一の言を尊重したい。

そこから、草森紳一は土方歳三をちよつと斜に構えた人物だ、と論じる。
そして、土方歳三の書について言及する。
幕末の志士の書は、形式や技術にとらはれることなく裂帛の気合ひをぶつけた迫力があり、「拙」ではあるがそこには書法があつて、見るものの心を打つ、と書いたあと、

「歳三の書は、すこしこれらと違ってきっちり技術とスタイルを押えたうえでの拙で、その拙によく自分の心をのせており、繊にして艶である」

「とかく斜に構える意識の人「歳三」はま、まずスタイルから入る人なのである。スタイルの書は、芸術志向であるから、おのずから内に兵法をふくんでいる。裏表の策略謀略をふくむ。書体洗濯はもちろん、一字一句、一行一行、さらに全体のバランス、つまり構図を意識する。構図取りを無視しない。剣術と同じである。」

うーん、かう書かれると土方歳三の書を見てみたくなるなあ。
幕末の志士の書も。

草森紳一は、「形式や技術にとらはれることのない」すなはち基本を学んだとは思へないがしかし勢ひのある字もよしとしてゐるが、一通り基礎は学んだであらう土方歳三の書もよしとしてゐる。
目指すべきは歳三の書なんだらう。
基礎基本がなくてなんの癖字。
さううそぶきたいところだが、いまから基礎基本を学ぶのは至難の業だらうなあ。

「歳三の写真」には京都で書籍を求める伊庭八郎の話なども掲載されてゐて、これがまたおもしろく、是非手元に置きたいと思つてゐるのだが絶賛品切れ中である。

惜しいことだ。

Wednesday, 11 September 2019

見返しづらい Bullet Journal

Bullet Journal をつづけてゐて一つ困ることがある。
読み返しづらいといふことだ。

理由としては、まづページにぎりぎりいつぱいに書いてしまふといふのがある。
ぎりぎりいつぱいだし、つめつめに書いてしまふ。
書きたいからだ。

もつと空白を活用すればすこしは見やすくなるのではないかと思ふのだが、つひ、たくさん書きたいのでつめてしまふ。
これまでの手帳がさうだつたからなあ。

でも、読み返しづらい一番の理由は、字が汚いからだ。

できるだけ読みやすい字で書くやうにはしてゐるのだけれど、興が乗ってきたり時間がなかつたりすると、つひつひ字が乱れてくる。

使用してゐるペンは、見出しにはぺんてるのプラマンやモンブランはマイスターシュテックの中細字、または欧風細字(すなはちそれなりに太い)のシュクルを使つてゐて、これはいい。

主に使ふペンには、セーラーの細美研ぎ、パイロットのキャップレスデシモの極細、パイロットのカクノの極細を使用してゐる。
5mm方眼のマスに書くので、ここはやはり極細だらうと思つてのことだ。

読んだ本や見た芝居などの感想は中屋万年筆の細軟や中軟、アウロラはネブローザの中字を使ふこともある。
ネブローザは中字ながらわりと細い線が書けるのでそこは問題ないと思つてゐる。
休みの日はパイロットの石目の細字を使ふこともある。

使ふペンがきまつてゐないからいけない?
それも考へてはみたが、どうもそれが原因ではない気がする。
といふのは、見開き全体を見出し以外はおなじペンで書いたページもそんなに見やすくはないからだ。
やはり字が汚いのがいけない。

古来、字がきれいなことは必要なことだつた。
少なくとも貴族階級や官僚にならうなどといふ層にとつてはさうだつた。
平安時代の貴族は自筆の和歌を取り交はしてゐたのだし、中国では字が汚いからといふので科挙で落とされて、その後毎日一千字書いて練習したといふ人の話を聞く。

先月大英図書館のWritihg: Making Your Marks 展に行つたときも、就職のために字を書けるやうにしやう、それもうつくしい字を書けるやうにといふ教則本が展示されてゐた。

それが近年ではそんなに必要な技能ではなくなつてしまつた。
人はもうほとんど手で字を書かない。
欧米の学校では筆記体を教へないことにするところもあると聞く。
手で書く人はゐて、でもそれは趣味といはうか好みの範疇におさまつてゐるやうに思ふ。

検索をするなら絶対テキストファイルに落とすかWebページやblogとしてWeb上にあげておくのが一番だ。
ただ、見返すといふことになると、やはりノートや手帳の形の方が見返しやすい。

このジレンマよ。

とりあへず、字はもうちよつと丁寧に書くことにしやう。
と、毎回思ふのだが、書きたいことがたくさんあると、やつぱり量を稼がうとしてしまふんだよなあ。

所詮、不器用だからさしてきれいな字は書けまいが、少しは気にしてみることにしやう。

Tuesday, 10 September 2019

レース糸の色

タティングレースではJane's Bookmark を Lisbeth #40 のPeriwinkle といふ色の糸で結んでゐる。
Periwinkle は淡い青紫で、どちらかといふと紫より青が強い色だと思つてゐる。
日本語だとツルニチニチサウだつたかな。
いい色だ。

ところで、前々から疑問に思つてゐることに、糸の色といふことがある。
おなじレース糸でも色によつて特徴があるんぢやないか、といふことだ。

オリムパスの金票40番でいふと、黒はどこか金属めいた印象があるといはうか、ほかの色に比べて糸に張りがあるやうに感じる。
緑やターコイズブルーはダブルスティッチがぱりつとした仕上がりになる。
段染めの白つぽいもの(どれだか忘れてしまつたが)は、なんだか糸にぬめりがある。

気のせゐだらう、と云はれればそれまでなのだが、染料によつて変はるんぢやないかなあ、と思つてゐる。

Lisbeth #40 の Periwinkle はとてもいい色で気に入つてゐるのだけれど、なんとなく結びづらい。
結んでゐて糸に撚りが入り過ぎる気がするのだ。
先に別の Lisbeth #40 でおなじ栞を作つてゐるからよけいにさう感じるのかもしれない。
使用するタティングシャトルはどちらもクロバーの角付きシャトルだ。
だから糸の巻き方もおなじやうだつたと思ふんだよね。

そんなわけで、時々撚りを戻しながら結んでゐる。

それで時間がかかつてゐる、といふのは云ひ訳かな。

Monday, 09 September 2019

デンマーク風ショールが編みたい

土曜日に突然思ひたつて、Dane Shawl を編みはじめた。

Dane Shawl in Progress

糸は Opal のソックヤーンソリッド 4Ply、針は6号で編んでゐる。

棒針編みなんて何週間ぶりだらう。
最後に編んでゐたのがかぎ針編みなので、二ヶ月くらゐはたつてゐるはずだ。
それでいきなりショールは無謀な気がしたが、案外編めてゐる。

Dane Shawl in Progress

これが土曜日中の進捗具合だ。
現在は3回目のくり返しに入つたところである。
3回くり返したら終はりと編み方にはあるが、それだとちよつと小さい気がしてゐる。
糸の残り具合ではもう1度くり返すかな。
どんどん大きくなつていくから必要な糸の量がちよつと読めないといふ不安はあるけれども。

デンマーク風のショールは以前から編みたかつた。
デンマークでは、三角ショールや馬蹄型ショールを肩にかけ、長い両端を前で交差して背中に回し結んで羽織るといふ。
ちよつとしたヴェストのやうにも見える羽織り方だ。
これをやつてみたくてね。
屋外ではコートの下にさうやつて羽織つて、屋内では通常のショールのやうにゆつたり羽織る。
いいんぢやないだらうか。

このショールはちよつと大きめに編まないと背中に回して結ぶのはむつかしさうだが、1度編んでみたらどれくらゐ毛糸が必要かもわかるだらう。
といふわけで、もう1枚くらゐ編むかもしれない。

Friday, 06 September 2019

手帳可愛や

手帳は使へば使ふほど愛ほしくなつてくる。
苦楽をともにしてきた仲だからか。
自分のことをなにもかもなにもかもわかつてゐる相手だからか。

つきあふうちに、手帳の紙幅は尽きていく。
残りが少なくなればなるほど愛ほしい。
だが別れの時はもう間近。
さうするとなほ恋慕は募る。

別れといつて、捨てるわけでなし、家に帰ればゐるのだが。
けれども以前のやうに常に一緒にゐるわけではない。
なにかのをりに見返しては「あのときはあんなことがあつたなあ」などと懐かしく思ふばかり。
新たなことを書き込むことはあまりない。
たまにはある。
見返して、あのときはああ書いたけれど、いまはかう思ふ、だとか。
あのときはわからなかつたけれど、かういふことだつたんだよ、だとか。
余白に書き足すこともあれば、付箋を使ふこともある。

それにしても別れ難い。

かうして手元にたまりゆく手帳は、やがてはゴミになるはずだ。
中身は誰の目に触れることもなく、よくて資源ゴミ、少なくとも燃えるゴミとして処分されることだらう。

わかつてゐて、なぜ書くのかと我ながらふしぎでならない。
たまに書かなくなるのは「なぜ」が主張してゐるときだらう。

現在、Rollbahn を使つてゐて、愛用してゐる中屋万年筆の細軟のペン先のすべりが実になめらかで気持ちがいい。
それでいいぢやあないか。

その Rollbahn も残り少ない。

一足早く来年の Rollbahn を使はうか、と思はないでもないのだが、さて。

Thursday, 05 September 2019

2色カラー原画を見る

先月末、大英博物館のまんが展に行つてきた。

さまざまな原画が展示されてゐる中に、数は少ないながら二色カラー原稿もあつた。
気がついた範囲では三種類。
さいとうたかをの「無用ノ介」、高橋陽一の「キャプテン翼」、そして竹宮恵子の原画だ。

二色カラーとは文字通り二色しか色を使つてゐないカラー原稿または印刷のことを云つてゐる。
まんがだと主に黒と朱色とを用ゐるといふ。
黄色と茶色の場合もあると聞く。
二色(プラス白)を混ぜあはせてさまざまな色を作つて原稿を彩る。
フルカラーでいきたいのはやまやまだが、費用その他のことを考へての上の二色カラーであつたらう。

「無用ノ介」の二色カラーは1969年と書いてあつたやうに思ふから、連載途中のものだらう。
少年誌の二色カラーといふのはよくいへばはつきりくつきり、悪くいへば大ざつぱなところがあるやうに思ふ。
少女誌と比べてしまふからかもしれないけれどね。
でも「無用ノ介」の二色カラーは思つてゐたよりもずつと多彩で、繊細な色遣ひのところもあつた。
印刷すると印象が変はるのかもしれないな。

「キャプテン翼」は絵柄からいつて、連載開始直後の二色カラーだ。もしかすると連載初回かな。
これも、誌面で見たときよりもずつと多彩で淡い色やぼかしなどもあつて、少年誌の二色カラーを誤解してゐたかな、と思ふほどだつた。

その印象は、しかし、竹宮恵子の二色カラーを見てほぼ吹き飛んでしまふ。
竹宮恵子の二色カラー原稿のすばらしいことよ。
云はなければ、黒と朱色と二色しか使つてゐないとは一瞬思はないかもしれない。
背景は宇宙でほぼ黒なのだが、白く細かい点で星を描き、星雲なのか灰色のグラデーションの部分がある。
宇宙の背景の上にところどころ人物の絵があつて、髪の色、皮膚の色、目の色、衣装の色のうつくしいこと。
そして絵全体を眺めたときのカラフルな印象。
思はずこの絵の前で立ち止まつてしまつた。

二色カラーのまんがは、現在ではほとんどないと聞いてゐる。
カラーはフルカラーばかりだといふ。
たぶん、それがほんたうの姿なのだらう。
苦肉の策の二色カラーは廃れてしまつても仕方がないのかもしれない。

しかし、二色しか使へないといふ拘束状態から生まれるカラー原稿のすばらしさといふのもあると思ふんだよなあ。

木原敏江の二色カラーは二色なのに華やかだつたやうに記憶してゐる。
成田美名子の二色カラーはすみずみまできつちり塗られてゐて可憐。
三原順の「ロング・アゴー」の二色カラーはどこか重厚で話の内容にふさはしい感じだつた。
少年誌では新谷かおるの二色カラーがダントツでうつくしかつたなあ。

かうした原画を見てみたい。
おそらく、さいとうたかをや高橋陽一の二色カラーを見たときに思つたやうに、印刷するとつぶれてしまつたり消へてしまつたりする表現があるんだらう。
原画で見たら、さうした部分もはつきり見えるのではあるまいか。

今回のまんが展では、まんがの原画を収集して適切に保管することが急務である、といふ話も出てゐる。

二色カラー原稿展覧会なんて、開かれたりしないかなあ。

夢ばかり広がる展覧会だつた。

Wednesday, 04 September 2019

夏のひとりカラオケ

八月の振替休日に、ひとりでカラオケに行つてきた。

ひとりカラオケにはもうせん興味があつた。
オタマトーンだとかウクレレだとかを練習したいが、家でするには隣近所に迷惑な気がする。
最近では楽器をカラオケに持つて行つて練習する人もゐるらしいし、カラオケ店のWebページなどを見るとそれを推奨してゐるところもあるやうだ。

それに、とにかく暑かつた。
暑さをしのぎに行くところとして、カラオケ店はいい気がした。

さらには、イギリス旅行が控へてゐた。
はじめての海外ひとり旅が不安で、「ひとりでカラオケにも行けずになんの海外ひとり旅!」といふ我ながらわけのわからぬ理屈でひとりカラオケに行つてみることにしたのだつた。

結論から云ふと、ひとりカラオケ、いいぢやん、である。

とりあへず、楽器は持つていかなかつた。
今回は様子見のつもりだつた。
代はりに書きものはいろいろと持つて行つた。

まづカウンタに行くと、親切にいろいろと説明してくれるのではじめてでも大丈夫だつた。

ドリンクバー的なソフトドリンク飲み放題のオプションをつけてみたが、二時間くらゐなら不要だな、と思つた。

暑さしのぎといふことで空調はといふと、これがすこぶるいい。
部屋にエアコンとリモコンとがあるので、自分で好きに設定を調節できるからだ。
寒すぎるなと思つたら設定温度を上げ、暑すぎるなと思つたら下げる。
自由自在である。
しかも部屋がそんなに広くないからエアコンの効きもいい。

せつかくなので書きものもしてみた。
これはちよつとやりづらいかもしれない。
カラオケ店のソファやテーブルといふのは、書きものをするにはちよつと低いんだな。
どの店もさう、と断言はできないが、数少ないカラオケ経験から云ふと、全体的にソファもテーブルも低めな印象がある。
仕方がないので、膝にかばんをおいて、その上にノートを載せて書いてみた。
いま主に使用してゐるのは Rollbahn だから表紙がかたい。下が多少がたがたしてゐても気にせず書ける。
ただ、やはり書きものには向かないかもなあ。
なにかしら工夫がゐると思ふ。

今回行つたカラオケ店では、曲によつては本人が歌つてゐる(「カラオケ」の意味、わかつてる?)ものもあつて、さういふのを選んで流しながら書きものをするといふのもいいかもしれない。

歌もちよこつと歌つてみた。
このカラオケ店ではタブレットで歌ひたい曲を検索して設定することができた。
かんたん。
以前は分厚い電話帳(といつて通じるのかどうか)のやうな一覧を見て歌ひたい歌の番号を探して入力する、みたやうなやり方だつたよなあ。
え、いつの時代の話かつて?
それくらゐカラオケには縁遠いのだよ。

スピーカやマイクの音量、音程の上げ下げなどもタブレットからできる。
世の中、確実に進歩してゐるのだなあ。

といふわけで、ひとりカラオケにはそのうちまた行きたいと思つてゐる。

次回はオタマトーンかウクレレを持つて行きたいかなあ。

Tuesday, 03 September 2019

栞作り

タティングレースではあひかはらず栞を作つてゐる。

ここのところ、なにかを作りたいといふ気持ちがずつと欠けてゐた。
Twitterで「栞を織るのが趣味」といふ人を見かけて、俄然やる気がでてきてゐる。

いや、「俄然」はウソかな。
ちよつとやる気がでてきてゐる。

栞を織るつて、糸はどんな太さなんだらう。
栞に厚みが出るのはちよつとどうかと思ふので、細い糸なんだらうか。
また、織り機はどうしてゐるんだらう。
マクラメ用のボードを利用して待ち針などを駆使してゐたりするのかな。

タティングレースはなにしろ結ぶレースなので、それなりに厚みが出る。
でもおそらく軽くて済むせゐだらう、本に挟んでおいても紙に影響が出ることはいまのところない。
主にあみものの本に使用してゐるからかな、とも思ふ。

かぎ針編みや棒針編みで栞を編んだこともある。
こちらもなにせ編みなのでそれなりに厚みは出る。細い糸で編むけれどもね。
編んだ栞は栞として使つたことがないのでどうなるのかわからない。
使つてみるか……。

いま栞を作つてゐるのは、Bullet Journal としとて使つてゐる Rollbahn に栞がついてゐないからだ。
Bullet Journal にはできれば栞が二つはあつた方がいいので(もつとほしいと思ふこともある。Future Log 用とか)せつせと作つてゐる。
Rollbahn はスパイラル綴じなので、スパイラルの部分にカニカン等をつけて栞をとりつけやうと考へてゐる。

考へるだけでなかなか進まなかつたけれど、ここにきてもしかしたら進むかもしれない。

ちよつとだけだが気温が下がつてきたことでもあるし。

Monday, 02 September 2019

毛糸と消費税

昨日からにはかに消費税率変更のニュースを見かけるやうになつた。
そんなニュース、もつと前から流しておけばよかつたのに。
それこそ参議院選挙の前からさ。
と思ふが、すぎたことは仕方がない。

5%から8%に変はつたときも大きかつた。
8%から10%もかなり影響は大きい。
といふのは、消費税が変はつた場合のアプリケーションのテストをしてゐたからよくわかつてゐる。
「え、もとはこの金額だつたのが、ちよつと税率が変はるだけでこんなに増えちやふの?」
といふのが、正直なところだつた。
昨日のニュースで「実際に変はつてみないと実感がわかない」などと云つてゐる道行く人がゐたが、よほどお金持ちなのだらう。
消費税率の2%やそこら、気にかける必要がないのに違ひない。

今回の増税では、しかし、生活必需品の税率は8%据ゑおきなのださうな。
なにが生活必需品でなにがさうでないのかはわからないけれど。
食品などは生活必需品に入るが、外食は入らない。
家庭を維持していくのに必要なもろもろのものはどうなるのかなあ。

といふわけで、毛糸だ。
毛糸は生活必需品に入るまい。
やづかれにとつては、少なくも生活必需品だつたりはするのだが、世間的にはさうではあるまい。
すなはち、毛糸には定価のほかに10%の消費税がかかるといふことだ。

……買へないな。

Sunday, 01 September 2019

8月の読書メーター

8月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:1141
ナイス数:18

The Adventures of Sherlock Holmes (English Edition)The Adventures of Sherlock Holmes (English Edition)感想
よく知られた短編はよくできているんだな、という印象。「まだらの紐」とか、依頼人の語りの部分等、ほかの作品に比べてこなれているような気がする。「赤毛同盟」とかもかな。
読了日:08月06日 著者:Sir Arthur Conan Doyle
[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき[新訳]フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき感想
The Beatles の"Revolution"にある"But when you talk about destruction, don't you know that you can count me out."ってこういうことか知らん。うまくいかないからといってなにもかもぶち壊してしまうのは愚かなこと、みたような。最近、「よく考えろ」という言説をよく見かける(個人的に)。これもそのひとつかな。ちょっと主観的に過ぎる気がするし主語も大き過ぎるんじゃないかなと思う点もある。原文はどうだか知らないけど。
読了日:08月13日 著者:エドマンド バーク
Call for the Dead: A George Smiley Novel (George Smiley Novels Book 1) (English Edition)Call for the Dead: A George Smiley Novel (George Smiley Novels Book 1) (English Edition)感想
順番に読むつもりが全然進んでないので読み返す。前書きからしてすでに intelligence service ってこういう感じなのか知らんという趣でよい。
読了日:08月17日 著者:John le Carré
江戸にフランス革命を!江戸にフランス革命を!感想
再読。かつてこの本を読んで江戸時代の役者評判記を読むことにした。なんだかわからないことばかりだったけれど、読み手を意識して書かれているということはわかった。今の劇評って誰に向かって書いてるのかほんと不明だもんね。この本にもそう書いてあるけどさ。ここから全然外に出られずにいることをいやというほど思い知らされる。
読了日:08月27日 著者:橋本 治

読書メーター

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