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Thursday, 15 August 2019

圓朝は古典か

先日、「落語はなにを云つても圓朝が古典だから」といふやうなことを書いた。

「古典」といつたら少なくとも江戸時代くらゐまでの作品をさすやうな気がする。
あくまでも個人的な感覚だけれど。
三遊亭圓朝は生まれは天保年間だが、なんとなく明治の人といふ印象が強い。
「牡丹燈籠」などの速記本が出回つたのが明治の世と聞いて育つたからだらう。

圓朝のせゐで、落語の世界では「古典」といつたら大正時代以降に作られた噺、といふことになつてゐるといふ説も聞く。
偉大なり圓朝。

「古典」といつたら古いものだ。
なにしろ「古」といふ字が入つてゐるくらゐだ。
長い年月をかけて淘汰されてきたもの、時といふフィルタをくぐり抜けてきた名作。
それが「古典」だ。
さうなると、圓朝の作つた噺は「古典」と呼ぶにはちぃとばかし新し過ぎやしないだろうか。

「classic」といへば、その限りではないのだが。

といふ話は吉田健一が書いてゐた。
「classic」といふことばには、「古い」といふ意味はない。
古今東西のすぐれたもの、といふ意味だといふ。
「class」には学校の組だとか階級だとか多くの意味があるが、その中に「the best of its kind」といふものがある。
すなはち、ある特定のものの中でとくにすぐれたものをさして「class」といふ。

「the best of its kind」には古いものが多いかもしれない。
でも新しくたつて「classic」なものはある。

「classic」を「古典」と訳したのがそもそも間違ひだつたんだらうなあ、たぶん。

といふわけで、圓朝の落語は「classic」だ。

仕方ない、どこかのだれかが「classic」に「古典」といふ訳をあててしまつたのだもの、なんとなく違和感は残るけど、圓朝は古典といふことでひとつ。

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