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Friday, 30 August 2019

いまさらひとり旅

8/20(火)から四泊六日でロンドンに行つてゐた。
海外にひとりで行くのははじめてだつた。
国内はわりとどこに行くにもひとりで、なにを云つてもことばが通じるし、宿にはたいていのものがそろつてゐるから荷物も少なくて済む。

海外旅行は片手の指ではチト足りないといふ程度にしか行つたことがない。
アメリカに二回、香港に一回、スウェーデン・フィンランドにそれぞれ三回といつたところだ。
アメリカの二回はそれぞれ南と北との国境近くに行つたので、メキシコとカナダとには行つたことがあるから国でいふと六カ国か。

これまで海外旅行にあまり行かなかつた理由は三つある。
一つは資金がないから。
そして時間がないから。
最後に一緒に行く人がゐないから。

資金がないのはもうどうにもしやうがない。
もつと若いころに海外旅行をしてゐたら、と思はないでもないが、そのころは東京往復の交通費と芝居のチケットとで稼ぎの大半が消へてゐた。
「歌舞伎は自分で稼げるやうになつてから」といはれて育つたから、さういふものだと思つてゐた。

時間がないのは仕事の都合だ。
それに、始発のバスに乗り、終電で帰つてくるやうな生活をしてゐると、たとへ時間ができたとしても、もうなにもする気にならない。
そもそも旅行の手配さへできない。
このころは芝居のチケットを買つても見に行けないことも多かつた。
俺はなんて無駄な時間を、と三井寿のセリフが脳裡に蘇るが、どうしやうもない。

資金は相変はらずないがすこし時間がとれるやうになつてきた時、周囲にはもう一緒に行く人がゐなかつた。
若いときに行つてたりとか、家庭があつてそれどころぢやなかつたりとか。
周囲と行動を同期させてゐないと、かういふことになる、といふ典型例だ。

それで、ひとり旅に踏み切つたわけだ。
なんとなく、いま行かないともう行くことはない気がした。
消費税の上がる前に、といふ思ひもあつた。
海外旅行に消費税は関係あるまい、といふ向きもあるかもしれないが、普段の生活に支障がでるやうになつたら旅行どころの騒ぎではなくなるだらう。
あとは大英図書館の Writing: Making Your Marks 展に興味があつた、といふのも大きい。

そんなわけで行つてきたわけだが、そこまでには「やつぱりやめやうかな」と思ふこと一度ならず、といつた調子で、我ながらどうしてかうかな、と思ふ。

考へてみたら、京阪福岡などに芝居を見に行く時だつて、実際に芝居を見るまではイヤでイヤで行きの新幹線や飛行機の中で泣きさうになることがあるんだから、さういふものなのかもしれない。

なにがイヤで「やつぱりやめやうかな」と思つたかについてはまた機会があれば。

ひとり旅にはつきもののことでもあると思ふので、そのうちに。

Thursday, 29 August 2019

ブレッチリー・パークへゆく

8/22(木)、ブレッチリー・パークに行つた。

Bletchley Park

Bletchley Park は第二次世界大戦で主に枢軸国の通信を傍受し暗号解読をもつぱらにした場所、といつたところか。
サイモン・シンの「暗号解読」でもとりあつかはれてゐるし、近年では映画「イミテーション・ゲーム」で舞台になつたところでもある。

ドイツの暗号エニグマを解読するために作られたBOMBEの複製があり、近所にはColossusの複製もあるといふので見に行くことにした。

実際に行つてみると、いろんな楽しみ方があることがわかつた。

1. 暗号解読にまつはる展示
2. ヴィクトリア朝期のマンションの外観と内装とその庭
3. 第二次世界大戦当時のやうすの再現
4. 第二次世界大戦での伝書鳩の活躍
5. その時々の特別展示

ここでは1と2とについて語る。

1. 暗号解読にまつはる展示

敵の通信の傍受にはじまつて、暗号を解読し、解読したものを翻訳してしかるべき筋に渡すといふのが Bletchley Park の仕事の流れだ。
当時の通信機や、翻訳するためドイツ語や日本語習得に使つたカードや辞書なども展示されてゐる。

一番の見ものはやはりエニグマの実機やBOMBEの複製だらうか。

Bombe, Bletchley Park

BOMBEの複製、実際に動くしね。
BOMBEとアラン・チューリングについてはHut 11a、11に展示されてゐる。
ほかの展示にくらべて扱ひが大きいんぢやあるまいか。
当時の電話の受話器を取ると、チューリングの同僚によるチューリング評が聞けたりもする。録音したのは俳優だといふけれど。

さうさう、ブレッチリー・パークではそこかしこで働いた人々のことばが再生されてゐて、本人の語つたものも多い。
Bombeの運用・オペレーションを任されてゐたWrens(ミソサザイ)と呼ばれた英国海軍婦人部隊(WRNS)の人々の証言は本人のものが多く、映像つきのものもあつた。

また、Hutによつてはエニグマの仕組みやかんたんな暗号解読、暗号解読に必要な能力を見極めるためのかんたんなテストのできるインタラクティヴなタッチスクリーンの展示もあつて、こどもたちがこぞつてやつてゐた。
もちろんやつがれもやつた。

2. ヴィクトリア朝期のマンションの外観と内装とその庭

実はこれが想定外に楽しかつた。
ヴィクトリア朝のころ建てられたマンションがあつて、ここに当時の図書室や執務室が再現されてゐる。
二階には上がれないが、一階部分は結構あちこち中を見て回ることができるし、外から窓越しに中を覗いて見るのもまた楽しい。

Mansion, Bletchley Park

ブレッチリー・パークは元は荘園だつたところだといふ。
ここで暗号解読をしてゐるなんてばれてはいけないから、一見まつたくそんなやうすはないやうになつてゐる。

庭には大きな池(地図にはlakeとあるが池だらう)があつて、その周囲の景観もさることながら、芝生の上にベンチやゆつたり座れるいすがあちこちに配してあつて、のんびり休むことができる。
天候が許せば、だけれどもね。

Bletchley Park

ブレッチリー・パークは敷地も広く、Hut(小屋)が点在してゐて全部見て回るには相当時間がかかる。
Google Mapで検索すると、来場者は平均で4時間くらゐは滞在してゐるやうだ。

疲れたら庭のベンチでのんびり池など眺めたりできるといふのが実によかつたんだなあ。
都会の喧噪を離れてのほほん、みたようなさ。

Colossus の複製は五分ほど歩いたところにある博物館にあるといふ。
見に行くつもりでゐたけれど、疲れてしまつて断念した。

Bletchley Park にはまた行きたいと思つてゐるので、その時にでも。

Wednesday, 28 August 2019

大英図書館 Writing: Making Your Marks

8/21(水)、大英図書館のWriting: Making Your Marks展に行つてきた。

the British Library

今の世の中、人々の書いたもの(writing)がSNSなどに大量に流れてゐる。
人間の書いたものが、過去はどうだつたのか、現在はどうか、未来はどうなるのか、といつた展示だつた。

今回ロンドンに行くことにしたのは、この展示があつたから、といふのが大きな理由だ。
大英博物館のまんが展も見たかつたし、ブレッチリー・パークにも行きたかつたけれど、「行くか」と思ふきつかけはこのWriting展だつた。

行つて見て、昔から人はなんとかして書いたものを残さうとしてきたのだなあ、といふことに深く感慨を覚えた。

展示内容としては、最古の記録、アルファベットのできるまで、フォントの変遷、筆記用具の変遷、現在の状況、未来の予測といつた感じだと思ふ。

最古の記録としては、マヤ文明の石碑や甲骨文字などが展示されてゐた。
ところどころにタブレットコンピュータがおかれてゐて、ランダムに表示する文字がどこの国の文字かをあてるクイズを楽しむことができる。
たまたま「いろは」と出てきたので楽勝で答へられた。

なぜ人は書くやうになつたのか、といふ展示もあつた。
理由は三つあげられてゐた。
1. 数を数へるため
2. 名前をつけるため
3. 祈りなど
といつた感じだつたと思ふ。
経済活動、大事だもんねぇ。

古い石碑などの文字から、現在のアルファベットがどのやうにできたのかといふ展示もあつた。
「A」は角のある牛の顔を単純化した記号が変化したもの、といふことだつた。
甲骨文字からいまある漢字への変遷はよく目にするものの、アルファベットの変遷を詳しく見るのははじめてだ。
かういふの、おもしろいよね。
metamorphoseつて感じで。

アルファベットの変遷に関はらず、ギリシャ文字の資料の多くはエジプトで発見されたものが多いやうに思つた。
ギリシャ文字・ギリシャ語は広く使はれてゐたんだらう。

フォントの変遷では多くは讃美歌や聖書を並べて、さまざまなフォントがいつごろ生まれたのかがわかるやうな展示になつてゐた。
San Serif つて、やつぱり見やすく読みやすい文字として生まれたんだな。
あと、小文字の誕生なんてのもあつた。これはどちらかといふとアルファベットのできるまでの方に入るのではないかといふ気がするが、フォントの展示の方にあつたやうに記憶してゐる。

各所に中世やその後の本や聖書が展示されてゐるのだが、いづれを見てもマージンが大きくとられてゐる。
ほとんど本文と1:1くらゐの割合なのではないかといふくらゐ大きい。
中には書き込みのしてあるものもあつて、これがまた読みやすい字で書いてあつたりするんだなあ。
もともと書き込みすることを前提としてマージンを大きく取つてゐたのかもしれないなあ。
ちよつと中国の書に皇帝たちが署名しちやふのを思ひ出した。

筆記用具と書いたが、彫刻用具や羽根ペン、万年筆、ボールペン、鉛筆、印刷機、タイプライタ、コンピュータと、書くことに用ゐるさまざまなものが並んでゐた。

最初に現代の彫刻作品が展示されてゐた。
詩を彫つたものだといふ。
石をさまざまな技術で彫つて、おそらくはことばにあつたおもしろい効果を狙つた作品だ。
そこに彫刻に使ふ用具も展示されてゐた。
くさび型文字もこのあたりに展示されてゐたと思ふ。

羽根ペンについては、羽根ペンの作り方が展示されてゐた。
また、日本で云ふところの矢立のやうな携帯用羽根ペンもあつて、「ああ、昔からペンを持ち歩きたいといふ人がゐたんだなあ」としみじみ思つた。

日本からは螺鈿のほどこされた硯箱が展示されてゐた。二十世紀半ばのものといふことで、簡素な装飾のものだつた。

印刷では高麗の金属活字による印刷物の展示があつた。金属活字としては世界最古とのことだつた。
印刷機は、ベンジャミン・フランクリンが使つてゐたものの複製といふことで、大きなものが展示されてゐた。
その脇には、組み版を体験できるコーナーもあつた。
文字を拾つて「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」を完成されるといふもので、できあがつたら鏡に映して確認するやうになつてゐた。
つひ、喜々としてやつてしまつた。

タイプライタが登場すると、それまで男の人ばかりだつた書きものの世界に女の人が登場するやうになる。
コンピュータはApple IIが展示されてゐた。なつかしくて思はずしげしげ見てしまつた。

手で文字を書くことの一環だらうか、習字に関する展示もあつた。
カリグラフィーといふべきだらうか。
如何に美しく字を書くか、どう字を学ぶかといつた展示で、中に英語用のノートによく見られる四本線で下から二本目が赤い線のノートが展示されてゐた。
あの英語のノートの元はこれだつたのか!
文字を学ぶと就職に役立つといふ惹句もあつた。

文字の練習に役立つといふので、色の付いたピンでさまざまな図形を作成するボードゲームのやうなものが展示されてゐた。
照明が暗くてピンの色がよくわからないのでやらなかつたけれど、なぜこれが字の練習・修得に役立つのか、ちよつとわからなかつた。

過去の著名人の手書きには、モーツァルト、ナイチンゲール、ジョイス、スコット、聖武天皇と光明皇后のものなどがあつた。

モーツァルトのものは、譜面で、過去に作曲した作品の出だしだけいくつも記したものだつた。覚え書きのやうなものなのかもしれない。

ナイチンゲールのものは、従軍中の日記と科学的なメモを記したものの二点あつた。
日記はSmythson のWafer くらゐの小さなサイズで、細かい字で丁寧に記されてゐた。
科学的メモの方はもう少し大ぶりのサイズで、革だらうかカヴァもついてゐた。

ジョイスのものは、「ユリシーズ」用のメモといつたところだらうか。
A3くらゐだつたかなあ、紙を縦横に使つてゐて、赤鉛筆と青鉛筆で線を引いて内容をわけてゐたやうだ。ぱつと見ただけでも楽しい感じがする。
紙はかういふふうに自由に使つていいのだなあ。

スコットのは死の直前まで書かれてゐた日記のやうで、トラベラーズノートより少し背丈の低いやうなノートだつた。
「For God's sake look after our people.」といふのが絶筆ださうで、そのページを開いて展示されてゐた。

聖武天皇と光明皇后の展示は、互ひに詠んだ歌を書いたものだつた。名前を忘れてしまつたのが悔やまれる。

ここにはタブレットコンピュータがおいてあつて、手書き文字から性格を判断するアプリケーションが入つてゐた。
判断するポイントは四つ。
1. 大文字と小文字との大きさの違ひ
2. iの点の打ち方
3. 文章全体がまつすぐ書かれてゐるか斜めになつてゐるか
4. 書く速さ
どう書いてもいいことしか云はないやうになつてゐたやうだ。

現在のやうすの中でおもしろかつたのは、eL Seedといふ人のアラビア文字のカリグラフィーだ。
壁などに大きく書く(描く)、イラストのやうにうくつしいカリグラフィーだ。
eL Seed はTED で講演もしてゐるのらしい。一度聞いてみたいな。
壁などは、いづれ壊されてしまふものだけれど、書いたとき、書いたあとでふれあつた人々とのコミュニケーションが大切、みたやうな話をしてゐたやうにも思ふ。
また、書くことは自分にとつて「pretext」なのだとも云つてゐた。
pretextにもいろいろ意味があるからなあ。どの意味で云つてゐたのだらう。

最後に、書くことについていろんな人へのインタヴュー映像をつなぎあはせた動画が流れてゐた。

また、「五十年後、誕生日を祝ふメッセージはどうなつてゐると思ひますか」といふアンケートがあつて、五つくらゐの選択肢の中から選べるやうになつてゐた。結果も表示される。
五十年後も絵文字(emoji)やテキストで送ると答へた人が一番多いやうだつた。一番多いといつても四十パーセントにも満たない僅差ではあるものの、これが英国かと思つた。
やつがれ自身は映像などで送るを選んだ。

さらに、模造紙のような紙が用意してあつて、五百年後のwritingはどうなつてゐると思ひますか、といふやうな質問があり、そのほかに自由に思つたことを書いていいやうになつてゐた。
ばつちり日本語の鏡文字で感想を残してきた。

全体的に照明が暗いのは展示物保護のため仕方がないとして、目の色の明るい人にはこれくらゐの明かりでも十分なのだらうといふ気はした。
上にも書いたやうに要所要所にインタラクティヴな仕掛けもあつて、楽しい。
こじんまりとした展示だつたが、見所はたくさんあるし、文字なので読めると読んでしまふからあつといふ間に時間がたつてしまつた。

時間には逆行してゐるかもしれないが、もつと見やすく字を書きたいなあと思つた
もちろん、もつと書きたいな、と思つたことは云ふまでもない。

Tuesday, 27 August 2019

あまり結べてゐない

先週の火曜日から日曜日まで旅に出てゐた。
行き先はロンドンだつた。

昨日、毛糸はなにも買はなかつたと書いたが、タティングレースものもなにも見に行つてゐない。

ヴィクトリア&アルバート博物館に行くと、織物とかあみものとかレースとかをたくさん見られると聞いた。
しかも、コンスタブルの絵のうちやつがれの好きなものはそこにあるといふ。
だが、今回はV&A博物館も見送つた。
ロイヤル・アルバート・ホールに足をのばしてゐながら、だ。
しかもロイヤル・アルバート・ホールは外観を見ただけなのにも関はらず、である。
まあ、そのお隣のインペリアル・カレッジ・ロンドンも見に行つたわけだけどもさ。

でも、タティング道具は持つて行つた。
糸を巻いたタティングシャトル二つを濱野のがま口に入れて持つて行つた。
飛行機の中や宿など、時間のある時にちよこちよこ結ぶつもりでゐた。
旅先へは、たいていタティング道具を持参する。
持ちはこびやすいし、我を失つたときに平常心に戻れる効果があるからだ。

今回はほとんど結ばなかつたなー。
飛行機の中は暗くなるし(手元の明かりをつければいいのかもしれないが、これつて案外周囲の人にも影響するんだよね)、宿では疲れ切つてゐてなにもできないやうな状態だつたし。

ブレッチリー・パークに向かふ電車の中でちよつと結んだくらゐか。
これから行くところだからまだ気力も体力もあつたし、車窓を眺めながらのタティングといふのもいいものだ。
でも、久しぶりだつたせゐかあんましうまく結べなくてなー。
とほほな気分になつてしまつて、あまり結べなかつた。
帰りはもう疲れちやつてなにもする気にならなかつたしね。

次に行くときがあつたら、今度は手芸用品の旅にするかなあ。
V&A博物館にも行くことにして。場所もだいたいわかつたしさ。

ほんたうに行く機会があつたら、だけれどもな。

Monday, 26 August 2019

毛糸を買はない旅

火曜日から日曜日まで旅に出てゐた。

行き先はロンドンだつた。
さぞかし毛糸を買つてきたのでせう、と云はれるかもしれないが、毛糸はなにひとつ買つてきてはゐない。

見にも行かなかつた。
見に行きかけて、体力切れで宿に戻つてしまつた。
その日は展覧会に二つ行つて、土産の紅茶を買ひに行き、Smythson に寄つて、それだけで疲れてしまつたのだつた。
おつと、トライデント・サウンド・スタジオにも行つたか。

毛糸は最初から買ふつもりはなかつた。
荷物になるからだ。
ひとり旅だつたので、かばんは機内持込可能な最大サイズのリュックサックだけにした。
帰りも荷物は増やさないことにしてゐた。
リュックサックは機動性はあるものの、片手がふさがると途端にその能力が落ちる。
買ひものは最小限にする、と、最初から決めてゐた。

毛糸はかるくていいんだけど、かさばるんだよね。
緩衝材として買ふといふ考へもあつたが、緩衝材が必要なものを買はなかつたのでそれも却下した。

代はりといつてはなんだが、羊を見てきた。
とはいつても電車の車窓からだけれども。
今回の旅の目的のひとつ、ブレッチリー・バークに向かふ電車の中から放牧中の羊を見た。
ロンドンのユーストン駅をはなれること二十分ほどだつたらうか、羊や牛、馬が放牧されてゐるやうすを車窓から眺めることができる。
おそらく見られるだらうと予想はしてゐたが、実際に見られるとうれしいものなのだつた。

羊は顔の黒いサフォークは見てすぐわかつた。
「ひつじのショーン」にそつくりだからね。
ショーンがサフォークなんだらうけれど。
ほかに全体が白い羊もゐて、そちらは種類はわからなかつた。
食肉用とおぼしかつた。

牛もホルスタインのやうな白黒のやジャージーのやうな茶色いのがゐた。
馬はそれほど見かけなかつたけれども、なににする馬なんだらう。
食肉用ぢやないよなー、たぶん。
農耕用なのかなあとも思つたが、ぱつと見たところサラブレッドのやうな体型の馬もゐる。
でも競走馬とも思へない。
ちよつと不思議。

あ、ブレッチリー・バークではあみもの関連のポスターの写真は撮つてきた。
第二次世界大戦のとき、従軍兵に贈るくつ下を編まうといふ写真。
これはあとでここに貼ることにしやう。

そんな感じで昨日帰つてきたばかりなので、まだぼーつとしてゐる。

今週はずつとこんな感じかな。

Monday, 19 August 2019

毛糸入れとしてのトートバッグ

相変はらず編めてゐないのだが。

考へてみたら、できないことはあみものだけではないのだつた。
タティングレースこそ、職場で昼休みにしてゐるから若干やつてはゐるものの、その他のことがなにもかもできてゐない。

家にゐるととにかく暑くて蒸してゐるので、紙になにか書くといふことができない。
紙においた手が汗ばんで、紙がしわしわしてきてしまふのが気になる。
さうなると紙に塩分とか余分なものがいろいろついて書きづらくなる気がするし。

本も読めてないんだよなあ。

家事は云ふにやおよぶ。

すべて夏なのがいけない。
いや、夏はいいのだ。
気温がそこそこ高く、湿度も高いことが問題なのだ。

そんなわけで、この暑さと湿気とが去つたあとがおそろしい気がしてゐる。
なんか、こー、ものすごく編み気が高まるんぢやないか、とか。
これまで編めてない分、がんがん編まなきや、とか。
そんな気持ちになるんぢやないだらうか。

それを見越して、赤坂ACTシアターで上演中の「けむりの軍団」のトートバッグを買つてきてしまつた。
トートバッグは買ふ端から毛糸入れになつてしまふので、なるべく買はないやうにしてゐるのだが、今回は別だ。
来るべき編み気のたかまりを見越して毛糸入れとして購入した。

早く涼しくならないかなあ。

Friday, 16 August 2019

飲まなくても平気

ここのところ飲んでゐない。
最後に飲んだのがビールで、八月三日のことだ。

なぜ飲まないのかといふと、熱中症になるのが怖いからだ。
アルコールで脱水症状とか、洒落にならない。
実際、昼間といはうか比較的早い時間に飲酒した人がその夜脱水症状に陥つた、といふ話も聞くし。
おそろしい。

「お水も飲めばいいのよ」といふアドヴァイスも受けたが、結構な量を飲む必要がある気がする。
なかなかさううまくはいかないんだよなあ。

そんなわけで、自分は飲まなくても大丈夫なんだな、と、今更ながら思つてゐる。
時々飲みたいなと思ふこともないわけぢやないが、しかし熱中症への恐怖の方が先に立つ。

よかつた。
まだ依存症ではないらしい。

薬物については、摂取する人にはみな依存症になる可能性がある、といふ。
そりやさうだ。
摂取しない人に可能性があつたらびつくりだ。

自分はひどく克己心といはうか、決意といはうか、さういふものが弱い人間だ。
すぐかんたんで楽な方に転んでしまふ。
ゆゑに、ほかの人よりも依存症になる可能性は高いだらうと思つてゐる。

だつたら飲むのやめなさいよ、といふ話だが、それができたら苦労はしないのだ。
……といふことはやはり依存症に一歩踏み出してゐるのだらうか。

とりあへず、もうちよつと涼しくなつてきたら飲むつもりでゐる。

Thursday, 15 August 2019

圓朝は古典か

先日、「落語はなにを云つても圓朝が古典だから」といふやうなことを書いた。

「古典」といつたら少なくとも江戸時代くらゐまでの作品をさすやうな気がする。
あくまでも個人的な感覚だけれど。
三遊亭圓朝は生まれは天保年間だが、なんとなく明治の人といふ印象が強い。
「牡丹燈籠」などの速記本が出回つたのが明治の世と聞いて育つたからだらう。

圓朝のせゐで、落語の世界では「古典」といつたら大正時代以降に作られた噺、といふことになつてゐるといふ説も聞く。
偉大なり圓朝。

「古典」といつたら古いものだ。
なにしろ「古」といふ字が入つてゐるくらゐだ。
長い年月をかけて淘汰されてきたもの、時といふフィルタをくぐり抜けてきた名作。
それが「古典」だ。
さうなると、圓朝の作つた噺は「古典」と呼ぶにはちぃとばかし新し過ぎやしないだろうか。

「classic」といへば、その限りではないのだが。

といふ話は吉田健一が書いてゐた。
「classic」といふことばには、「古い」といふ意味はない。
古今東西のすぐれたもの、といふ意味だといふ。
「class」には学校の組だとか階級だとか多くの意味があるが、その中に「the best of its kind」といふものがある。
すなはち、ある特定のものの中でとくにすぐれたものをさして「class」といふ。

「the best of its kind」には古いものが多いかもしれない。
でも新しくたつて「classic」なものはある。

「classic」を「古典」と訳したのがそもそも間違ひだつたんだらうなあ、たぶん。

といふわけで、圓朝の落語は「classic」だ。

仕方ない、どこかのだれかが「classic」に「古典」といふ訳をあててしまつたのだもの、なんとなく違和感は残るけど、圓朝は古典といふことでひとつ。

Wednesday, 14 August 2019

Commonplace book の効用とは

近頃、commonplace book の充実に励んでゐる。

Commonplace book は「備忘録」などと訳される。
んー、ちよつと違ふ気がするなあ。
大枠では正しいのかもしれないけれど。

理解してゐる範囲では、commonplace book とは、見聞きしたものや読んだものを書き記すものだ。
基本的には見たとほり聞いたとほり読んだとほりを書き記すものだと思つてゐるが、そこから思ひついたことを書くこともある。

書き写すのはだいたいは読んだ本からだが、Webサイトからひろつてきたものもあるし、TVを見てゐて書き留めたものもある。

「執念の先にこそ解脱がある。とらはれ、こだはつて追ひ求めていかないと、解脱は見えてこない。そんな気がするんです」

これはNHKのドキュメンタリで川本喜八郎が云つてゐたことばをうつしたものだ。
川本喜八郎の人形アニメーションをあれこれ思ひ返してみると、このことばはさらに味はひ深くなる。

「ゴールは設定するものではない。道行く途中で、行く先はおのづと定まつてくるもの」

これもTVで見た今敏のことばだ。おなじ番組ではかうも云つてゐる。

「個性は表現するその仕方にある。まづ動き出すこと」

ゴールを設定してから動き出すのではなく、まづ動き出すこと。
さういふことだと理解してゐる。

最近は、Ryan Holiday の云ふやうに、一度読んだ本は一週間くらゐ寝かせて、それから気になる箇所を書き写すやうにしてゐる。
「一週間くらゐ」のつもりが、いつのまにかものすごく時間がたつてゐることもある。
いま書き写してゐる最中のジョン・クリーズの本は二月に読み終へたものだ。
Kindleなので気になる箇所にはハイライトを設定してゐて、それを読み返すだけでもおもしろいのだが、なにしろもう記憶の彼方に行つてしまつてゐるので、結局全体を読み返すやうな形になつてしまつてゐる。
やはり寝かせるのは一週間、長くても一ヶ月くらゐが限度かと思ふ。

書き写してゐてなにかいいことがあるのか、といふと、実はあまりない。
あとで読み返すことを前提に書くので、比較的丁寧な字で書くといふことくらゐかなあ。

さう思つてゐた矢先、それだけでもないな、と思ふことがあつた。
せつせと書き写してゐると、突然、まつたく関係のないことを思ひつくことがある。
自分の中ではなにか関係があるのかもしれない。

たとへば、ジョン・クリーズの本から「イエス・キリストは人々に語るときにたとへ話を用ゐた」といふやうなことを書き写してゐたときのことだ。
なぜかここからヴィトゲンシュタインの「Wovon nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.」といふことばを思ひ出した。
一般に「語り得ぬことについては沈黙せねばならぬ」と訳される一文だ。
なんだかわからないけれどおもしろいので、この文章も書き写すことにした。
そこからなぜか「シュレディンガーの猫」が脳裡に浮かんだ。

自分の中では全部つながつてゐる。
でもうまく説明することができない。
ここをつなげられればおもしろいのになあ。

つなげられないのは己が非力なゆゑだが、でもその入り口まではたどりつくことができる。
ただ書き写すといふことが集中力を必要とするもので、なにかに集中してゐると、ふつとあらぬ考へが頭に浮かぶものだからなのではあるまいか。

たまにかういふ時間を過ごすのもいいかもしれない。

Tuesday, 13 August 2019

写真が貼れない

写真用クラウドサービスとして、Flickrを長年使つてゐる。
もうやめやうと思ふこともしばしばあるが、いまとなつては Flickr にしかない写真もあるし、といふのでダラダラとつづけてゐる。
このblogに貼る写真もFlickrにあるものだ。

でも、いい加減、Flickrから離れることを考へてもいいのでは。
さう思つたのは、電子メールで写真を投稿できなくなつたときだ。
iPhoneで撮つた写真は電子メールでFlickrに登録してきた。
Flickr用のアプリケーションもあつたけれど、使へたり使へなかつたりしたし、iPhoneのFlickrへアップロード機能もいつのまにか使へなくなつてゐたりしたからだ。

これまでYahoo!傘下にゐたFlickrが別の会社の下にうつつた。
それと同時に電子メールでの写真の投稿ができなくなつてしまつた。
「iPhoneからの登録はああしてかうしてさうすればできる」と書いてあるが、なんかもうめんどくさくてやつてゐない。

だつたらInstagramの写真を貼るやうにしてみたらどうだらう。
Instagramにもシェアする機能があつたはずだし。

といふので、夕べ、Instagramにあげた写真の貼り付け用コードをコピーしてきてココログにあげやうとしたのだが。

プレヴューを見ても、真つ白なんですけど。
何度やつてみてもダメなんですけど。

Instagram、シェア用のコードが長すぎるんぢやないかなあ。
Flickrはもつと短くて、なにをしてゐるのかわかるやうになつてゐる。
Instagram、なにこれ。
自分で手を入れてみやうかとも思つたが、ここのところの暑さでそれどころではない。

仕方なく、当面は諦めてみた。
もうちよつと涼しくなつたら考へやう。

ちなみに貼らうと思つてゐた写真はタティングレースの写真です。

Monday, 12 August 2019

あみものの向かない気候

去年のいまごろは暑さのあまり頭がをかしくなつたのか、毛100%の毛糸でヨガソックスを編み始めてゐたやうだ。

今年は暑さのあまりなにもできずにゐる。
ここのところ書いてきたイガ問題もある。
どこに虫がひそんでゐるのかわからない状態で毛糸を取り出すのは怖い。
取り出したがゆゑに虫害がひろがるかもしれないし。

日本であみものがはじまらなかつたのは、気候的な問題もあるのかな。
羊やそれに代はる毛糸の作れさうな動物がゐなかつたといふこともあるのかもしれないけれど。
でも絹や麻はあつたんだからさー、と思はないでもない。
ただ編み地はちよつと厚くなるからね。
通常の織り地よりは格段に厚い。

夏ものといふことで、海外のあみものの本などを見てゐると極細モヘアの毛糸で編んだショールなどが出てくる。
ないわー。
絶対ない。
モヘアでせう?
汗でくつつくぢゃん。

しかし、欧州の、特に緯度の高いあたりでは、夏といへども日が陰つてくると途端に肌寒くなつてきて、モヘアのショールの一枚も羽織りたくなるのらしい。

「のらしい」ぢやないか。
九月ではあるが、ストックホルムやウメオ、ヘルシンキに行つた感じだと、確かに日が落ちるとぐつと冷えてくる。
日中は暑くて半袖で過ごしてゐても、夕方になると薄手のダウンのジャケットを着ても寒いくらゐだつた。

これだつたら毛糸であみものするわなあ。

以前、気温が摂氏四十℃でも毛糸で編んだくつ下を履いてゐる、といつてゐる人がゐた。
アメリカに住んでゐる人だつた。
アメリカのどこだかはわからないけれど、おそらく乾燥した土地の人だつたんぢやないかなあ。

日本で、しかもヒートアイランドだ地球温暖化だといつてゐる世の中で、あみものをするのは無謀なのかもしれない。

何年も前からさういふ不安を抱いてゐる。

不安の影は毎年大きくなつてゆく。

Friday, 09 August 2019

狂言戦隊カジャーV

何年か前のつぶやきを見返してゐたら、「狂言戦隊カジャーV」なんぞといふ、たはけたことを云つてゐる。

太郎カジャー、次郎カジャーから五郎カジャーまでゐるんだな。
隊長に向かつては、「のうのう、たのうだお方たのうだお方」とか云ふのだ。
呼び出されると「はーーーー、お前に」と云つたりとか。
返事も「なかなか」とかさ。
出陣するときは「そろそろまゐるぞ」「そろそろまゐれ」と云つたりとか。

スピードに欠ける?
そんなことはない。
狂言役者の身体能力はちよつとあなどれないぞ。といふか、すごいぞ、実際。

……といふことは、狂言役者が演じるんだらうか。
それもおもしろいかもしれないけれど、普通の戦隊ヒーローものとおなじやうな感じでいけると思つてゐる。

変身すると、鴨(家鴨?)の模様とかがついてゐるんだ、これが。
いいな。いけるんぢやないかな。

問題は、最初に「V」と云つてしまつてゐるところだ。
最近の戦隊ヒーローものはあとからあとからメンバーが増えるので、「何人」といふことをあきらかにしないことが多い。
「キュウレンジャー」といふのがあつたけれど、「キュウ」は「九」といふ意味だけぢやなかつたからね。

あと、趣向が狂言だけといふのが弱い。
最近の戦隊ヒーローものは趣向が複数あつたりする。
先日も書いたやうに、現在放映されてゐる「騎士竜戦隊リュウソウジャー」は騎士と恐竜、あとお祭りあたりが趣向として取り入れられてゐる気がする。

狂言といつしよに取り入れたらおもしろい趣向つてなんだらう。
動物かな。
狂言にも動物が出てきたりするし。
猿とか梟とか蝸牛とか。
戦隊ヒーローものの趣向として獣はつきものだけれども、梟・蝸牛あたりはちよつとないんぢやあるまいか。

長老とか太郎カジャーのおぢいさんあたりには実際に狂言役者に出てほしかつたりするなあ。
伊藤雄之助が存命なら伊藤雄之助がいいんだけどさ。
「ああ爆弾」の冒頭の狂言仕立ての部分は実にいいものねえ。
「べちのことにも」とかのセリフの自然なこと。
うん、狂言マスタのやうな人に長老かおぢいさん役を頼みたいところだ。

敵はなんだらう。
狂言に出てくる敵つて……お酒かな。
敵の名前がお酒にちなんでゐる、とかどうだらうか。

おお、なんだかこれで一作できさうぢやあないか。

おつと、問題がひとつある。
女の人が出てこないぞ。
狂言に出てくる女の人つて……わわしい感じ?
頼もしい感じかな。
なにかいい名前があればいいのだが思ひつかぬ。

思ひついたらつぶやくことにしやう。

Thursday, 08 August 2019

鬼も笑ふ来年の手帳

来年の手帳がそろそろ出始めてゐる。
いま購入を考へてゐるのは Rollbahn だ。
サイズや表紙の色、デザインがさまざまあつて悩むところだが、いま使つているサイズがLだからLを買ふだらう。
……たぶんLだ。
手帳のどこにも書いていないからわかんないんだよねえ。

なにごとにつけさうだが、ロルバーンにも一長一短はあつて、でも書きやすく持ち運びやすいので、このまま Bullet Journal として使ふつもりだ。
持ち運びやすいのはサイズのおかげだけどね。
もし LEUCHTTRUM にB6相当のサイズの手帳があつたらそちらにするかもしれないなあ。

Rollbahn は、Bullet Journal として使ふには栞がないし、Index は自分で作る必要があるといふデメリットがある。
Index は、しかし、単に冒頭三ページくらゐに「INDEX」とでも書いて空白にしておけばいいのでそんなにたいしたことではない。
栞も世の中のはさむタイプの栞や付箋などで代用が効く。

書きやすいといふのは人によつてさまざまだとは思ふ。
ペンの滑りがいいのが自分では気に入つてゐる。
あと、安いとはいはないけれど、そんなに高すぎない価格もいい。
あんまし高価なものだと書き込むのにちよつと気が引けてしまふものね。

実は今年は Rollbahn のB6サイズの月間スケジュール帳を使つてゐる。
今年は最初から LEUCHTTRUM で Bullet Journal をやつてゐた。
それまで二年半ほどシステム手帳を使つてゐたので、読書録や観劇録などの Collection Logs は通年で使つてゐた。
これだと一年間にいつなにを読みなにを見たかがぱつとわかる。
それに代はるものがほしかつたんだな。
で、カレンダ形式のスケジュールのほかに29ページほどノートのついたスケジュール帳をいまも使つてゐる。

通年にこだはる必要はないのかもな、と、ライダー・キャロルの「バレットジャーナル」を読んで思つたけれども、この点はどうしやうか悩んでゐる。

毎年、「かうして考へてゐるときが一番楽しい」と思ふのだが、手帳を使ひはじめると愛着がわくもので、使ひはじめてもとても楽しい。

実際、いま Rollbahn の手帳を使つてゐて楽しいもんね。

Wednesday, 07 August 2019

「豆腐屋ジョニー」の江戸

八月三日土曜日、日経ホールの第五十六回大手町落語会に行つてきた。

はじめて三遊亭白鳥の「豆腐屋ジョニー」を聞いた。
これが思ひのほか、江戸を思はせる噺なのだつた。
落語ではどうだか知らないけれど(と云ひつつ落語はなにを云つても圓朝が古典だからなあ)江戸歌舞伎めいたつくりだな、と思つた。

江戸の歌舞伎には、とこれ以降は橋本治からの受け売りになるが、世界と趣向といふものがある。
たとへば「東海道四谷怪談」の場合、世界は太平記の世界で、趣向は忠臣蔵、といふことにならうか。あるいは忠臣蔵の世界で四谷であつた怪談を趣向として取り入れてゐる、ともいへる。

以前ここで、特撮戦隊ヒーローものがかういふ作りになつてゐる、といふ話を書いた。
特撮戦隊ヒーローものの世界に、電車だとか恐竜だとか忍者だとかを趣向として取り入れてゐる、といふやうな話だ。
江戸の歌舞伎に限らず、かういふ作りのものといふのはほかにもある。
プリキュアもさうかな。
探せばほかにもあるだらう。

「豆腐屋ジョニー」が、特撮戦隊ヒーローものやプリキュアよりも江戸の歌舞伎に近いのは、世界や趣向の部分の知識の有無がものを云ふところだ。

現在の特撮戦隊ヒーローもの「騎士竜戦隊リュウソウジャー」は恐竜と騎士とおそらく祭りとが趣向として取り入れられてゐる。
でも、恐竜や騎士に詳しくなくても全然問題なく見ることができる。
知識があつたらより楽しいかといふと、うーん、どうだらう。
あまりさういふ感じはしない。

「豆腐屋ジョニー」の場合、世界はゴッドファーザーなのだらうと思はれる。
ここはちよつと自分でも悩んでゐるところで、世界は三平ストアかな、と思はないでもない。
ゴッドファーザーと老人からの需要で成り立つてゐるスーパーマーケットと、どちらがよく知られてゐるかといふと、うーん、いまはスーパーマーケットなのかな。
さうすると、世界は三平ストアか。
で、趣向がゴッドファーザーであり、TV版の「柳生一族の陰謀」といふことになる。

これね、ゴッドファーザーとかを知つてゐるとより楽しい仕掛けがあるんですよ。
「豆腐屋ジョニー」にはドン・カマンベールといふチーズのボスが出てくる。
もう、ドン・コルレオーネでせう。
マーロン・ブランドでせう。

お公家さんのマロニー(麿だけに)といふ登場人物(人物?)もゐる。
これは「柳生一族の陰謀」の成田三樹夫ね。烏丸少将ね。
今回はマクラでもちよこつとこの成田三樹夫の話にはなつたけどね。

もちろん、三平ストアを知つてゐたらもつと楽しいだらうし、とにかく、「知つてゐる」といふことが楽しさにつながる噺なのだつた。

これがとても江戸の歌舞伎なんだよなあ。

江戸の歌舞伎では、世界や趣向は「これ、みんな知つてるよね」といふものばかりだ。
その上で「かう来たか!」と観客をうならせる作りになつてゐる。

これはお浄瑠璃だけれども、はじめて「実盛物語」を見たときは、「ははー、かう来たか!」といたく感じ入つたものだつた。
斎藤実盛がなぜ白髪を染めてゐたのか、その理由が「これだつたのか!」といふ内容なのである。
このお浄瑠璃にはほかにも村の名前の謂はれもわかるやうになつてゐるし、さらに前段から見てゐると、「こんなところから伏線を張つてゐたのか」とうなるしかない。

「豆腐屋ジョニー」には、さういふ「知つてゐるとさらに楽しい」趣向がこらされてゐる。
下手な古典よりよほど江戸な雰囲気のある噺なのだつた。

惜しい哉、近頃では「誰もが知つてゐる」といふものが減つてゐるので、今後はかういふ作りの噺もなくなつていくのかもしれない。

Tuesday, 06 August 2019

糸の撚りがきつ過ぎる

Lisbeth #40を使つて、Jane's Bookmark を性懲りもなく作り始めた。

Jane's Bookmark は一見シンプルで、しかしタティングシャトルを二つ使ふし、スプリットリングが出てくる。
また、裏表をつけるには、片方のシャトルでリングを作るときにダブルスティッチの前後を入れ替へる必要がある。

たぶん、単色の糸なら問題ないのだ。
段染めの糸を使ふと、裏が表になる方のピコをつないだところで別の色が顔を出すことがあり、あまりうつくしくない。

さう考へると「こちらのシャトルでリングを作るときは、ダブルスティッチの前後を入れ替へる」といふのを覚えておく必要がある。

普段ならなんといふことはない。
そんなに深く考へなくても、ぱつとできたところまでを見れば「あ、ダブルスティッチに注意しなきや」と思へる。
しかるにこの暑さだ。
常にぼーつとしてゐるのが、さらにぼーつとして、なにもかもおぼろな世界に溶けだしてしまふ。

でもなんとなく作りたくなつちやつたんだな。

「いだてん」を見ながらシャトルに糸を巻いたのだが、どうも糸の撚りがきつくなる。
シャトルに糸を巻くときは、糸を巻く手ではなくてシャトルを回すといい、といふ話も聞く。
さういふことなのかなあ。
しかし、それだとものすごく時間がかかつてしまふ。

また、レース糸を引き出すときは、糸を上に引くやうに出し、糸玉は回さないやうにする、といふ話も聞く。
これはできるだけ実践してゐるつもりだ。
うまくいかなくて結局糸玉が回つてゐることもあるけれども。

かういふところもここのところおろそかにしてゐたからうまくいかないのかなあ。
仕方がないので、タティングしつつ撚りがきついなあと思つたらちよつと撚りを戻すやうにしてゐる。

ゆゑに時間がかかつてゐる。

Monday, 05 August 2019

虫も死ぬ暑さ

日々暑い。
梅雨明けから一週間、多少慣れてきたやうな気もするが、やはり暑いものは暑い。

暑いときはなにを編みますか。
といつて、いまは全然編む気がしないとはここ二週間ばかり書いてゐるとほりだ。
イガの問題である。
アヤシい毛糸を処分しなければ。
それに、なんかもう、あみもの、どうでもいいかな。

さう思つてゐたはずが、ここ三日ばかりそのイガを見かけない。
この期間、成虫になるタイミングのサナギがゐなかつたのだらうか。
それは考へられる。
とはいへ、その前は一匹退治てはまた一匹見かけるといつた状態だつた。

をかしい。
もしかしたら、イガは暑さにやられてしまつたのだらうか。
以前、Web検索をしたときに、四十℃を超えるとイガは死ぬ、といふやうなことが書いてあつたやうな気がする。
いや、四十五℃だつたか。

気になるならググれよ、といふ話だが、ググると写真が出てくるのでちよつと気が引ける。
いづれにしても、高温になるとイガは死ぬのらしい。

ここのところひどく暑かつたし、家を閉め切って出かけたりしたら室温が四十℃くらゐにはなつてゐたかもしれない。

さう思ふと、ここ数年、夏のあひだ蚊に刺されることが減つたことに気がつく。
ほとんど刺されなくなつた。
蚊も、暑いと出てこなくなるんだらう。
そんなことを云つてゐる人がゐた。
どうやらゴキブリなどもさうなのらしい。

この苛酷な暑さは、虫にも多大な影響を与へてゐるんだなあ。

とはいへ、こんな暑さはもうここ数年はあたりまへのことで、そのたびにイガは死んでゐるのだらうがまた出てくる。

きつと卵や幼虫は丈夫なのだらう。

Friday, 02 August 2019

積極的に諦める

近頃、ストア派的な話を読むことが多い。
世の中全体ではどうだか知らないが、たまたまWeb検索などして出会ふ言説がストア派がらみだつたりする。

ストア派がどういふものなのか、よくわからない。
知つてゐることといつたら、ストイックといふことばはストア派からきてゐる、といふくらゐか。

したがつて、なんか禁欲的な、規律正しい感じの考へ方をする人々のことなんではないかと思つてゐる。

実際に見かける内容はといふと、こんな感じだ。

「世の中の出来事や他人の行動を変へることはできない。
変へられるのは、さうしたものごとへの自身の反応・対応である」

ヲノサトルの「おもしろくなつてきたぜ」といふのも、ストア派的といへやう。

大事な顧客との打ち合はせに向かふ際、電車が止まつてしまつた。
運転再開の見込みは立たない。
電車の止まつたことを怒つてみたり嘆いてみたりしてもはじまらない。
こんなとき、「おもしろくなつてきたぜ」と肚裡でつぶやいてみる。
自分を取り巻くことがらへの反応をみづから変へてみるとはかういふことだらう。

自分は世の中のことや他人の言動にふりまはされやすい。
自分の思ふとほりにならないとすぐに苛立つてしまふ。
自己中心的だからだが、さういふときに一歩引いて「おもしろくなつてきたぜ」と云へたら、ちよつとは世界が違つて見えてきたりはしないだらうか。

酒見賢一に「エピクテトス」といふ短編がある。
エピクテトスとはストア派の哲人で、小説の中では世の流れに逆らはない人物である。
だからといつて、自身の考へがないといふわけではない。
自身の哲学を貫くことで、世の流れに逆らふことがない。
小説にはかうある。
「エピクテトスは優れて積極的な諦めを説く人であった。しかも諦めは単なる諦めを越えて、自由を得るための諦めである」

世界や他人を自分の思ふとほりにしやうとしても無駄なことだ。
さうしたことは「諦め」て、自分が自分らしくあればいい。
さういふことなのかな、と思ふ。
自由はその先にあるのだらう。

幸ひ、諦めることは得意だ。
諦めは悪いけれどもね。

7月の読書メーター

7月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:1480
ナイス数:29

教養としての将棋 おとなのための「盤外講座」 (講談社現代新書)教養としての将棋 おとなのための「盤外講座」 (講談社現代新書)感想
帯に「「観るだけ」の人に贈る」とあるのだが、対談と駒作りのくだり以外は「やっぱり指せなきゃね」という感じがしてしまう。観戦記事を楽しむにもある程度指せないと面白くないのではないかと一度も将棋を指したことのない人間として思う。日曜日の朝、ぼんやりとプロの対局を見るのは楽しい。なぜなのか、その答えはこの本にはない気がする。
読了日:07月01日 著者:羽生 善治,梅原 猛,尾本 恵市
The Code Book: The Science of Secrecy from Ancient Egypt to Quantum Cryptography (English Edition)The Code Book: The Science of Secrecy from Ancient Egypt to Quantum Cryptography (English Edition)感想
「踊る人形」をはじめて読んだ時に「暗号ものは原書で読まないとダメ」ということを身をもって知った。「暗号解読」も読んだけれど、そういうわけで読んでみた。この本を読んで「イミテーション・ゲーム」も見たけれど、Colossusのことをもっと知りたいな。そうしたさらなる知識への欲求をかきたてる本だと思う。
読了日:07月17日 著者:Simon Singh
スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)感想
ご時世がご時世だけに「何もしないとこういうことになる」という読み方になってしまったのが残念だ。また機会を見て読み直そう。でも今後はいつ読んでも「何もしないとこういう目にあう」という読み方になってしまうのかな。「世界は日の出を待っている」で終わるのが救いなのだと思いたい。
読了日:07月23日 著者:佐藤 亜紀
バレットジャーナル 人生を変えるノート術バレットジャーナル 人生を変えるノート術感想
ここのところわりとよく出会うストア派を志向するタイプなのかな。考えてみたらRapid Loggingってストイック(ストア派の、という意味ではなく)な感じがするかも。人目を引く華美なイラストへの注意喚起もあって、ちょっとばかり我が意を得たりと思ったりもした。
読了日:07月25日 著者:ライダー・キャロル

読書メーター

Thursday, 01 August 2019

ロルバーンにブックダーツを

Rollbahnには、結局ブックダーツを栞として使用してゐる。

ブックダーツはページにはさんで使ふタイプの栞だ。金属でできてゐて、長さは3cm弱、薄さはちよつとわからないけれどかなり薄い。重さは0.25gほどだといふ。

先がとがつてゐるので、どの行を指し示してゐるのかわかりやすい。
金属製といふこともあつてくりかえし使用できる。
軽いしとてもよくできてゐるので、紙を傷めることがない。
図書館の本に付箋を貼るとのりで紙を傷めるといふが、ブックダーツならいいんぢやあるまいか。
返却するときにはづし忘れるかもしれないが。

最初は栞代はりに付箋を貼つてもいいかなと思つてゐたのだが、さうすると手帳からはみ出た部分が折れたりなんだりで見苦しくなる。
ブックダーツだとそれはない。

使ひはじめてみて、スピンのやうにはぱつとは行きたいページに行けないな、といふことはわかつた。
ちよつともたもたしてしまふ。
もうちよつと厚い手帳ならさうでもないのかな。
慣れかもしれない。

これまで横書きの本を読むときに付箋を貼りづらいなあと思つてゐたけれど、考へてみたらブックダーツが使へさうだ。

缶入りのブックダーツも持つてゐるし、今後使ふやうになるかもしれない。

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