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Thursday, 04 July 2019

ちやんと考へてる?

なぜ書くのか。
ぱつと思ひつく理由は「考へたくないから」だ。

ジョージ・オーウェルは人々の文章の書けなくなることに不安を抱き、こんなことばを残してゐる。
「みんながきちんと書けなくなつたらきちんと考へることができなくなる。きちんと考へられなくなつたら、誰かが代はりに考へるやうになる」

オーウェルは、まともな文章が書けなくなつたらまともに考へることができなくなる、すなはち書けるといふことがまづ大事、と云つてゐる。

しかし、自分は考へながら書いてゐるだらうか。
なにも考へてなくない?
だつて考へながら書いてゐたらこんな速度で書けはしないと思ふんだよね。

以前、囲碁や将棋の棋士の対局中の脳の働きを調べたところ、序盤のあひだはほとんど考へてゐないといふ結果が出たことがある。
序盤は定跡がつづくので、棋士にとつては慣れたものであり、一々考へなくても打てるし指せるといふ説明があつたやうに思ふ。
序盤に関してはいまはまた状況が変はつてきてゐと思ふが、えうは、対局中の棋士はいつでも考へてゐるわけではないといふことだ。
ダニエル・カーネマン云ふところの「システム1」を使つてゐる時間帯もある、ともいへる。

「システム1」「システム2」とはカーネマン云ふところの人の二つの思考モードだ。
「システム1」は直感的なものでほとんど考へずに経験則などから判断する思考で、「システム2」は反対に意識していろいろ考へるとき用の思考、とでもいはうか。

たとえば、通勤通学だ。
毎日通ひ慣れた道を行くのに、一々「まづ靴をはいて玄関を出て」とか「右に曲がつたら左に曲がつて」とか「何番線からどこゆきの電車に乗つてどこで降りる」などと一々考へて歩きはしない。
ほとんど自動的に職場や教室までたどりつくはずだ。
ここではほぼ「システム1」のみを使つてゐる。

だが駅に着いたらいきなり電車が止まつてゐたらどうだらう。
止まつた原因や復旧の見込み、人の流れなどからどうすれば一番早く目的地に着くか考へる必要が出てくる。
ここで使ふのが「システム2」だ。

人は一々「システム2」を使つて考へることはない。
「システム1」を使ふのも悪いばかりではなく、生きていくには必要なことだといふ。
そりやさうだ。一々考へなければ外出もできないやうでは生きてはゆかれまい。

で、ものを書いてゐるときはこの「システム1」を使つてゐる気がするんだな、少なくとも自分の場合は。
いまこの瞬間だつてものすごい勢ひでキーボードを打つてゐる。
一々考へながら打つてゐたらこの速さにはならない。
つまり、自分は考へてゐないことになる。

んー、だからダメなのかな?
考へながら書かないからダメなのかも?

さう思ひつつ、書くときは書くだけで、考へることはその他の時間帯にやつてゐるのではないかといふ気もしてゐる。

やはり考へてはゐるのかな。

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