伊達とか粋とか意味のなさ
佐藤亜紀の「スウィングしなけりゃ意味がない」を文庫版で読んだ。
ナチス政権下のドイツに「スウィング・ボーイズ」とか「スウィング・ユーゲント」などと呼ばれてゐた人々が実在した、その人々をモデルにした話ださうな。
ナチスはジャズを禁じ、それに反抗してパーティを開いてはジャズを演奏し歌ひ踊つてゐた人々だといふ。
主人公はハンブルクの裕福な家に生まれ育つた少年で、そのため兵役につかずに済むだらうと思つてゐる。
父親の力でなんとかなる、と。
政治的な信条はなく、ただ、今の政権はいけてない、ダサい、といふので反抗してゐる。
その反抗も表だつたものではない。
このご時世だから、読んでゐる最中は「なにもせずにはふつておくとひどい目に遭ふんだな」と思つてゐた。
ヒトラーはヤバい、このままでは国はダメになる、最終的にはやつぱり兵隊にとられるかもしれない。
さう思ひつつ、主人公たちはなにもしない。
まだこどもだからともいへるが、その親たちもなにもしない。
主人公の両親はジャズはもちろん、ハリウッド映画なども好んでゐる。
母親は自身をジンジャー・ロジャーズに似てゐると思つてゐるし、父親はそんな母親相手にだんだん重たくなつていく躰でフレッド・アステアを意識したやうに踊る。
主人公の名はエドゥアルドといふが、家では英米風に「エディ」と呼ばれてゐる。
でも、政権を倒さうとはしない。
したやうすもない。
ヒトラーの台頭を許したのは人々の無関心だつた、といふ説がある。
読んでゐて、なるほど、と思ふ。
ただ、心意気だけはある。
主人公の両親がどう思つてゐたかはわからないが、すくなくとも主人公とその仲間とは「だつてかつこよくないから」と思つてゐたからなのではないかと思つてゐる。
すなはち、美意識が勝つてゐるのだ。
政治的な信条を持たなくても、己の美と思ふところ、様子がいいと思ふところに合致しないものには服従しない。
伊達といひ、粋といふ。
さうしたものが心の支へになりうる。
最後の砦になりうる。
だからといつてヒトラーを防げはしなかつたのだが、それでもなほ。
さういふ話なのではないかと、ふりかへつて思ふ。
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