究極のDIY
先日、Twitter の TimeLine に「気に入つた服がないから自分で服を仕立てる人」についてのつぶやきが流れてきた。
14才のころからしてゐるさうで、18〜19世紀くらゐの衣装を参考にしてゐるといふ。
橋本治も自分の着たい服がないからといふのであみものをはじめたと書いてゐた気がする。
GジヤンだかGパン(当時ですから)に和服にあるやうな桜の刺繍をして、生地が伸びなくなつて実際に身につけることはできなかつた、といふ話もどこかで読んだ。
気に入つたものがないから自分で作る、といふのは、しかし、手先の器用な人の発想だらう。
なにしろ生まれてこの方自分より不器用な人間を見たことがないといふ不器用な人間なので、なかなかさういふ発想には至らない。
あみものやタティング、糸紡ぎでは、道具が手に入らないから自分で作るといふ人がゐる。
人形用のミニチュアセーターが編みたくて、でもそんなに細い編み針はないので、ぬひぐるみを縫ふときの長い針の先端を紙やすりなどでちよつと丸めて作る、だとか。
洗濯ばさみをそのままタティングシャトルに使ふといふ人もゐるが、シャトルもうまいこと自分で作る、とか。
スピンドルは自作する、だとか。
結局、手芸といふものは、もともと手先の器用な人がするものなのだと思ふ。
手先が器用で、アイディアの浮かぶ人、とでもいはうか。
この道具は不便だからちよつとなほしてみる、あるいは自分で作つてみる。
こんなものがあつたら便利さうだから作る。
さういふ人が楽しむものなのだらう。
タティングシャトルも、市販のものは先がとがり過ぎてゐるから、やはり紙やすりなどでちよつと調整するといふ人もゐる。
さう考へると、自分はあみものやタティングをしてゐていいものなのだらうか、とひとしきり悩んでしまふわけだ。
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