心のゆとりはスピリチュアル
水曜日に「How to be a Gentleman」について書いた。
このとき「How to be a gentleman」でWeb検索をかけたところ、007のころのショーン・コネリーの写真がひつかかつてきた。
ステキだなあ。
実を云ふと、若いころのショーン・コネリーはちよつと苦手だ。
なんか、くどい。
さう思つてゐたしいまでもさう思つてゐる。
だが、写真のジェイムズ・ボンドは様子がよかつた。
白黒写真だつたから、よい加減に過剰さが抑へられてゐたのかもしれないとも思ふ。
ステキだと思つた理由のひとつが、なんだか余裕が感じられるから、だつた。
いつからか、映画の007には感じられなくなつたものだ。
ロジャー・ムーアのボンドには、これとはまた違つたゆとりがあつたやうに思ふ。
いつごろからだらうなあ、この余裕といふかゆとりがなくなつてきたのは。
「How to be a Gentleman」でも書いたやうに、紳士の要素のひとつに「気持ちのゆとり」がある。
もつともやつがれに足りないもの、とはそのときにも書いた。
では、心に余裕を持つにはどうすればいいか。
これをWeb検索にかけると、いきなりスピリチュアルな趣のサイトばかりひつかかつてくるのはなぜなんですかねー。
まあ、なんとなく予想はしてゐたけれど。
「紳士たるには」の検索結果はさうでもないのになあ。
「紳士たるには」の検索結果には、わりと具体的にかういふ行動をとるといいといふやうなものが並んでゐる。
「心に余裕を持つには」とかだとなぜこんなに宗教がかつたやうな内容になつてしまふんですかねー。
昨今の007に余裕が感じられないやうに、世の中、どんどん余裕やゆとりといふものがなくなつてきてゐるのだらう。
人はそこはかとなくさう感じてゐる。
でもどうすることもできない。
それで頼る先が宗教やスピリチュアルなもの、といふことなのかなあ。
心のゆとりはさういふところにしかないのだらうか。
「老後の心配は不要ですよ」と一生かかつても遣ひ切れないやうな大金を差し出されたら、不安もなくなるのではないか。
それともいきなり大金を目の当たりにしてかへつて余裕がなくなつてしまつたりするだらうか。
いづれにしても、007のときのショーン・コネリーはやつぱりいいのであつた。
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