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Thursday, 20 June 2019

読む力と四技能

大学受験の英語について世間で取り沙汰されてゐる。
読む・書く・聞く・話すの「四技能」がどうだとか、業者テストを取り入れるの入れないのといふ話だと理解してゐるが、自分には関係がないのでよくわからない。

実は国語の試験も大変に変はらうとしてゐるらしいのだが、こちらはあまり話を聞かない。
英語が騒がれてゐるのだから国語も騒がれて然るべきだと思ふんだがなあ。
そもそも英語が喋れないのは日本語が喋れないからなのにねえ。

言語については、人はみづから読める範囲でしか聞くことも書くことも話すこともできないのだ、といふ。
これは大学受験の英語に関する言説の中で見かけた意見だ。
読める範囲でしか書けない、聞き取れる範囲でしか喋れないといふのはつとに感じてはゐた。
もつと云ふと、読めるほどには書けないし、聞き取れるほどには喋れない。
読んでわかることばでも自分で遣ふことができないものがいくらもある。

といふわけで、受験英語の「四技能」とやらはほんとに必要ですか、といふ話に進むのかもしれないが、ここはさうではない。

さうなんだよ、読める範囲、読み取れる範囲でしかことばを遣ふことができないんだよ。
といふことはさ、読むこと大事つてことなんぢやないの。

でも国語教育つて、読むことを大事とは思つてないよね、どう見ても。
いまの教育はどうだか知らないけどさ。
読書は家庭でのしつけ(といはうか)にまかせてゐるのだらうか。
我が親のやうに「本を読むより外でともだちと遊んで来い」といふやうな家で育つたらさういふ機会もないんだぞ。
どうするんだよ、そんな親ばかりだつたらさ。

とはいへ、読書が一般的になつたのはさう昔のことでもないと思ふので、一概には云へないとは思ふのだが。

できる子ははふつておいてもできるからそれでいい、といふことなのかなあ。
でも日本の教育つて、さうはは謳つてゐないと思ふんだよなあ。
教育も平等に。
さう云つてゐるやうに思はれる。

いづれにしても大学受験はもうやつがれには関係がない。
それが気になるのはどうしてなのだらうか。

少しは Bystander Effect の原因にはなりたくないと思つてゐるのかな。

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