出かけたくない
できればあまり出かけたくない。
家でぼんやりしてゐたい。
いまはそれが一番ぜいたくな時間の使ひ方だと思つてゐる。
働くには出かけなければならない。
といふことは、平日は毎日出かけるといふことだ。
芝居見物には出かけなければならない。
寄席や落語会も同様。
映画を見るにも映画館に行く必要がある。
買ひ物はひよつとしたら最近では通信販売でなんでも手に入るのかもしれない。
しかし、ゴミ捨てには行かねばならない。
極端な話、ヴェランダにさへ出たくない。
自分にとつて「安静日」といふのは、洗濯もせず、しても部屋干しで、ひたすら家の中でぢつとしてゐることだ。
布団の中ならいふことはない。
さうして家の中にゐることにたいして、負ひ目だとか引け目だとかを感じることはない。
さうしたいのだもの。
なにが悪い。
などと云ひつつ、先日も書いたやうに、家の中にこもりつきりではいけないのではないかと思つて、連休中ほぼ三日に一度は出かけてゐた。
こもりつきりだと躰が弱るしね。
とくに足腰が弱る。
でも足腰が弱つて困ることといつて、「出かけられなくなる」ことくらゐしか思ひつかない。
人は斯様に出かけることを絶対だと思つて暮らしてゐるものらしい。
ずつと家にゐたいやつがれにしてこれだ、とは、やはり先日も書いたとほりだ。
問題の根は深い。
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