片づけないことも大事
かぎ針編みのヴェストはあと裾を編むだけとなつた。
毎段減らし目があつて、どんどん進むやうになつた。
これまでは前身頃の前立てと前身頃後ろ身頃の裾をつづけて編んでゐたものだから一段が長くて、一日に一段編めれば上等といふ感じだつた。
それが日に何段か編めるやうになつた。
問題は、またぞろ腱鞘炎めいた症状が出てゐることだ。
くさり編みをしてゐる最中に糸をかけた左手の人差し指が動いてゐるのが原因らしい。
糸のかけ方がきつすぎるのかなあ。
でももうずつとこれでやつてきたから、いまさら変へたら編み地のやうすも変はつてしまふし。
といふので、休み休み編んでゐる。
ここまできたらもう仕上がらないこともなささうだしな。
あと五cmほど編めばいいだけだから。
ひとつ、きちんと進められてゐる理由がある。
それは、目につくところに編みかけのヴェストをおいてゐるといふことだ。
いすに座つて落ち着いたら即手の届くところにおいてゐる。
ひとたび座ればいつでも編み始めることができる。
これ、重要だと思ふんだよね。
編み終はつたらきちんと仕舞ふやうにしてゐると、目に付かなくなつて忘れてしまふことがある。
さうさう毎日編む時間がとれるわけでもないしね。ほかにしなければならないこともたくさんあるし。
でも、目の端に編みかけがあるのがわかれば、「ぢやあちよつとだけ編むか」といふことになる。
そのときにはムリでも「あとでちよつとだけ編まう」といふことも可能だ。
あまりなにもかもきれいに片づけてしまふとダメなんだよね。
といふのは片づけられない人間の云ひ訳ではあるのだが。
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