気楽にひきこもる
五月の連休のあひだは、ひきこもつてゐた。
十日のうち、四日は映画を見に出かけたので完全にひきこもつてゐたわけではない。
ただし出かけるときはひとりだつた。
ひとりで出かけてひとりで映画を見てひとりで帰つてきた。
映画は見たかつたといふこともあるけれど、出かけないのもいかんな、と思つて外に出たといふこともある。
つまり、これだけひきこもりたいと日々念じてゐるやつがれにして、十日間まつたく外に出ないのはどうよ、と思つたといふことだ。
ここにも何度も書いてゐるやうに、ひきこもりの問題といふのは、もともとはひきこもりたくない人やひきこもることは世間体や体裁が悪いと思つてゐる人がひきこもつてゐるから生じるのだと思つてゐる。
やつがれの場合は逆で、ひきこもりたいのにひきこもれないことが問題だ。
「ひきこもりは問題だ」「ひきこもりを解消しなければ」といふから、ひきこもる人も罪悪感や負担を覚えるので、もしさういふことを云はなかつたら意外とひきこもりの問題も解消するんぢやないかなあといふ気がする。
ひきこもることに罪悪感を覚えるのがいけない。
「ひきこもり? 誰にもあるでせう、そんなことは」といふ風になれば、もうちよつと気楽でゐられるんぢやないかなあ。
無論、ひきこもるといふことは大抵の場合定職につかず学校にも行かずにゐるといふことで、そこには問題はあるのかもしれないが。
かく思ふのは、自分がひきこもりたいからだよな。
ひきこもりたいんだよ。
どうしたらひきこもることができるんだらう。
このままでは一生ひきこもりにはなれない気がする。
なりたいなあ、ひきこもりに。
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