技術が自分か
「絵がうまくなりたいのか」「絵のうまい自分になりたいのか」といふ呟きが、先日TLに流れてきた。
前者ならいいけど、後者はね、といふ呟きだつた。
自分はどちらなんだらう。
「あみもの/タティングがうまくなりたい」のか。
「あみもの/タティングのうまい自分になりたい」のか。
なんとなく後者な気がするんだよなあ。
ヤバい。
ここにも何度も書いてきたやうに、これまで生きてきて自分より不器用な人間を見かけたことがない。
こどものころから親にも教師にもずつと「不器用だ」と云はれつづけてきて、自分でもさうだな、と思ふ。
あみものとタティングとは、もう長いことやつてきてゐることもあつて、人並みにはできるんぢやないかと思つてはゐるが。
問題は、周囲にあみものやタティングをする人がゐないので比較対象が存在しない。
ゆゑにできてゐると思ふことに根拠は存在しない。
「比較対象」とか云つてゐる時点でダメだ。
たぶん、うまく編めるとかうまく結べるといふことは、他人との比較ではない。
以前よりうまく編めるとか前よりうまく結べるとか、さういふことなのだと思ふ。
でも、うまく編めたりうまく結べたりしたとき、どううれしいと思ふだらうか。
「前よりうまくなつたなあ」か。
「前よりうまい自分になつたなあ」か。
やつぱり後者な気がするんだよなあ。
斯様に「不器用」と云はれつづけた経験は大きい。
事実不器用だから仕方がないのだが。
不器用な自分を受け入れられずにゐるんだなあ。
いろいろめんどくさい。
そんな中、久しぶりにはじめて作つたドイリーに用ゐたモチーフを作つてみた。
藤戸禎子の「華麗なるレース タッチングレース」に掲載されてゐた初心者向けのドイリーだ。
モチーフはよくあるロゼッタである。
はじめてシャトル一つと糸玉一つを使つて作ることのできたタティングレースのドイリーだつた。
うーん、いま作つても今一つだ。
でも当時はもつとひどかつた。
なにしろほぼはじめてだつたしなあ。
でも前よりはうまくなつてゐる。
そしてまだまだ改善点がある。
さう前向きになれればいいのだが、なかなかむつかしいな。
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