あと半分しかない
十連休も早いもので折り返してしまつた。
十連休には是非がある。
経済効果などほとんどない、とか。
ないどころか悪化させるばかりだ、とか。
そもそも十連休なんて取れるわけもない職種もたくさんある、とか。
実際、街に出ると働いてゐる人がたくさんゐる。
街に出るには公共交通機関を使ふから、そこにまづ働いてゐる人がゐる。
店舗はほぼ営業中だ。
だいたい、みんな一斉に休まなくてもいいぢやないか。
そんなことをしたら行楽地はどこも混雑してどうしやうもない。
さう思ふ人も多かつたのだらう、連休初日はディズニーリゾートを訪れる客が少なかつたのだといふ。
初日はみんな行くから混んでゐるだらうといふのでとりやめた人が多かつたのではないかといふ話だ。
でもいまとなつてはもう「十連休なんていらない」とは云へない。
四月二十六日の金曜日の、あの浮かれた自分を思ふと、口が裂けてもそんなことは云へない。
あの日の自分は、間違ひなく浮かれてゐた。
自然とうきうきとした心持ちになるのをとめることができなかつた。
自分はどちらかといふとしづんだ気持ちで日々過ごしてゐる方だ。
しづんだ気持ちといつても、別段暗いといふわけではない。
世の中には、多分、気持ちの浮いてゐる人としづんでゐる人とがゐる。
ぱつきりふたつにわかれてゐるわけではなくて、どちらかといへば浮いてゐる、どちらかといへばしづんでゐる、境界線にゐて双方に振れる、そんな感じなんぢやないかと思つてゐる。
浮いてゐるのとしづんでゐるのとの違ひは、外界からの刺激への反応にあらはれるのぢやないかと思つてゐる。
外界からの刺激に敏感に反応するのが浮いてゐる方、鈍感な方がしづんでゐる方なのぢやあるまいか。
敏感・鈍感は違ふか。
影響を受けやすいか受けにくいか、かもしれない。
それでいくと自分は浮いてゐる方なんだがなあ。
ま、いいか。
その普段わりと鬱々と日を送つてゐる自分が、うきうきしてゐる。
だつてさ、十連休しやうと思つたらさ、普通だつたら有給休暇の申請をして、仕事の都合をつけて、それでやつと休めれば御の字なわけでせう。
それを、なにも云はなくても、なんの段取りもしなくても、なんの気兼ねもなく休めるわけだよ、それも十日間も。
浮かれたねぇ。
その休みももうあと五日。いや、もう四日か。
惜しまれてならない。
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