心の地層のズレるとき
例年、連休中には寝込むことが多い。
大抵風邪をひいてしまふ。
旅行の予定を入れてゐるとさうでもないので、おそらく気持ちがゆるむのだらう。
それには兆候もある。
「五月の連休まで我慢しやう」
「五月の連休はもうすぐだ」
四月も半ばになると心の中でさう唱へながら過ごすやうになる。
これがサインだ。
休みたくて仕方がないのだ。
怠惰のゆゑだ。
だが、おそらくそれだけではない。
ほんとに休みたい、休みが必要な状態なのだ。
それを、「もうすぐ連休だから」といふので気づかないふりをし、「自分は怠け者だから」とみづからに云ひ聞かせて四月を乗り切り、連休に入ると風邪を招き入れてしまふ。
今年突然さう思つたのにはわけがある。
連休に入る一週間ほど前のことだ。
帰宅途中電車の中でクイーンの「愛といふ名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」を聞いてゐた。
ご機嫌な曲だ。
その時もおそらくご機嫌に聞いてゐたのだと思ふ。
それが、ギターソロがはじまつた途端、泣けてきてしまつたのだつた。
え、「愛といふ名の欲望」ですよ。
ほかの tearjerker な曲と違ふんですよ。
しかも電車の中だよ。
ことはるまでもないかもしれないが、別段ギターソロだけ泣けるといふ曲でもない。
疲れてる。
疲れてるんだ。
そこから、気をつけて生活を改めた……といけばよかつたのだが、なかなかさううまくはいかない。
ただ、このままでは絶対連休に入ると同時に寝込むことになると思つたので、できるだけみづからの機嫌をとりながら連休を迎へた。
おかげでいまのところなんとか風邪を寄せ付けることなく過ごせてゐる。
それにしても、なんで「愛といふ名の欲望」のそれもギターソロに入つたところで泣けたのか。
これといつた思ひ出がある曲ではない。
映画の泣けるところでかかるわけでもないしねえ。
長年積み重なつた地層が突然ずれたとか、さういふことなのだらう、多分。
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