愚図愚図するわけ
Get Things Done (以下、GTD)などが流行したせゐか、procrastination といふ英単語もまたよく見かけるやうになつた。
あるいはGTDに関する情報を追ひかけてゐると見かけるだけなのかもしれない。
procrastination とは、やらなければならないことを先延ばしにしたり後回しにしたりすることをいふ。
洗濯をはじめなければとわかつてゐながらグヅグヅしてしまふ、本を片づけてゐてつひ手にした本を読んでしまふ。
かういふことを procrastinaiton といふ。
さう理解してゐる。
procrastination はなにもやりたくないことに対してのみ発生するわけではない。
やつがれは、なにかと書くことが好きだ。
喫茶店やファミリーレストランでコーヒーなどを飲みつつ、手持ちの手帳に何ページもあれこれ書き連ねてしまふことが往々にしてある。
これが滅法楽しい。
だが、自宅や職場では滅多にさうして書くことはない。
まづ、手をつけることができない。
「あー、いま頭に浮かんだ、このことを書きたい!」と思つても、自宅だとなかなか書き出すことができない。
やつたら楽しいのにできないことに、情報カードの整理もある。
いい加減情報カードもたまつてきたので、そろそろ一度見返したい。
だが、これもまたなかなか着手できない。
カードをくるのを楽しい。
こんなことを書いてゐたのか、またまたあんなくだらないことを書いて、などと、見返すのは楽しいことだ。
なのにできない。
楽しいのに、好きなことなのに、はじめられない。
なぜなのだらうと考へて、おそらく、はじめてしまつたらいつ終はるかわからないからだらう、といふ推論にたどりついた。
部屋の片づけもさうだ。
一度手をつけたが最後、いつ終はるともしれない。
ほんの一角だけをきれいにしやうとしても、多大な時間と労力とがかかる。
また、どういふ状態になつたら終はりといふ目標も定められない。
どれくらゐ時間がかかるかわからないし、片づけてみないとなにが出てくるかわからない。
そこまでひどい状態にしてしまつた自分がいけないのだが、いまさら云つても仕方がない。
それで、日々エントロピーが増大していくのである。
書くことや情報カードの整理もおなじことだ。
いつ終はるともしれない。
どういふ状態になつたら終はりなのかも見えない。
情報カードについては、いまある全カードを見返して、分類できればそれで終はりかな、といふ気はする。
だが、そこにたどりつくまでにどれくらゐの時間がかかるのか、はかり知れない。
書くことについていふと、書いてゐると次から次へと書きたいことが出てくることがある。
やはり終はりが見えないのだ。
なるほど、仕事などは細かく達成しやすいタスクにわけてひとつづつ手がけていけばいい、とよく云ふが、それはかういふことなのかもしれない。
終了状態やそこまで達するのにかかる時間がわからないと、人はなかなか手を出せないもの、といふことだらう。
「人は」とは、主語が大きいな。
すくなくともやつがれはさうだ。
部屋の片づけや情報カードの整理、書くことといつたことは、その細かいタスクにわけることがむつかしい。
それでなかなか手がつけられないのだらう。
喫茶店などで書けるのは、終了時間が決まつてゐるからだ。
店を出なければならない時間、それが終了時間だ。
だが家にゐたらいつまでも書ける。
就寝時間まで書けるが、なにもその時間に布団に入る必要もない。
それで自宅ではなかなか書けないのだらう。
と、わかつたところで、ではそれを打開するいい案があるかといふと、これが、ないんだよなあ。
どうしたものやら。
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