マクラの話と残念な客
芝居や映画を見たり落語を聞いたりしたあとは、一応記録をつけてゐる。
「感想」ではなく「記録」なのは、ほんとに記録だからだ。
落語の場合、書いてゐることはほとんどマクラでなにを話したか、だ。
もちろん、噺の題名と噺家の名前も書く。念のため。
マクラの内容ばかり書くのは、「芸術つてなんなのよ」といふことがわからないからだ。
その噺のどこがいいのかとかほかの噺家とどう違ふのかとかこの噺家のなにがそんなにすぐれてゐる(あるいは逆な)のかとか。
さうした、肝心なことはまつたくわからない。
とても残念な観客なのだつた。
それでもうやめてしまはうかな、と思ふこともある。
自分よりもつと見るにふさはしい、芸術のわかる、芸の善し悪しのわかる、さういふ人が行つた方がいいのぢやあるまいか。
肝心なことが書けないので、勢ひマクラでなにを話したかといふことばかり書いてしまふ、といふ寸法だ。
結果、マクラなしでいきなり噺に入つた場合などはほとんどなにも書いてゐなかつたりする。
ほんとに残念な観客だ。
だが、これが案外おもしろいんだな。
「あー、あの噺家はこのときこんなことをマクラで話したのかー」とか「この噺家はかういふ話題をマクラでふつたらこの噺になるのか」とか「この人、またこの話題だよ」とか。
マクラでなにを話したかをあれこれ公開されるのはイヤだといふ噺家もゐるらしくて、あまり見かけないやうにも思ふ。
たまたま自分が見てゐる範囲では話してゐる人がゐないだけかもしれないけれど。
だからおもしろいんだらう。
時事ネタも多いから「こんなこともあつたなあ」だとか、「この時期まだこんなこと話してたのか。客に合はせてるのかもしれないけど、勉強が足りないんぢやないの?」だとか思つたりもする。
とはいへ、マクラを記録しやうと思つて聞きに行つてゐるわけではないので、きちんと覚えてゐるわけではない。
おぼろな記憶に頼りながら書きつけて、書いてゐるうちにあれもこれもと思ひ出すこともある。
誰に見せるわけでなし、自分でおもしろいんだからこれはこれでいいのかな。
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