今そこにある Hammer to Fall
クイーンのアルバム「The Works」が世に出た年、国境の町にゐた。一年ほどそこで暮らした。
国境の町は基地の町でもあつた。
自衛隊がゐて、米軍がゐて、西独軍がゐた。
小さな町ではあつたけれど、一朝ことがあつたときには真つ先に核爆弾が飛んでくる場所のひとつだと云はれてゐた。
当時、「Hammer to Fall」はキューバ危機云々といつたノスタルジアではなく、今ここにある現実だつた。
もちろん、町の人もやつがれも、毎日楽しく暮らしてゐた。
人間、自分には流れ弾は当たらないと思つてゐる。基本的に楽観的にできてゐるのだ。
でも、思ふ。
どんなに叫んだところで、自分の声などどこにも届きはしないのだ、と。
わかつてゐても叫んでしまふのだ、と。
ほんとになんのために戦つてゐるんだらうね。
といふのが、「Hammer to Fall」を聞いたときの印象で、それはいまもあまり変はつてゐない。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」の応援上映会に行くと、きまつてこの歌詞のくだりでなんともいへない気分になるからだ。
映画自体ももう最終盤でもりあがつてゐるところだからといふこともある。
あれからもう一世代以上の時が流れてゐるといふのに自分の声はどこにも届かないし、それでもやつぱり叫んでしまふし、なんのために戦つてゐるのかわからないのも全然変はつてゐない。
そのことに思ひ至つては、「成長しないなー、自分は」と、自嘲してしまふのに違ひない。
いまでもロシアの核爆弾のひとつはあの町を標的にしてゐるのだらう。
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