「ユビキタス・キャプチャー」はいづこ
「ユビキタス・キャプチャー」といふことばはまだ使はれてゐるのだらうか。
「ユビキタス・キャプチャー」とは、「いつでもどこでも記録をとること」と理解してゐる。
だいたい今世紀になつたばかりのころやつがれの耳に入つてきたやうに記憶してゐる。
そのころ Moleskine が出回りはじめて、「いつでもどこでも Moleskine とペンとを持ち歩いてなんでもかんでも記録しやう」といふやうな本も出版されてゐたやうに思ふ。
また、iPhone などのスマートフォンで記録をとることが容易になりつつあつたのでさうした指南も次第に増えていつた。
Evernote なんてのもできたし。
それで、さうしたことはいまどうなつてゐるのだらうか。
ちよつと気になつてゐる。
「ユビキタス・キャプチャー」でWeb検索をかけると、最初のページに表示されるもののうち一番新しいのは2017年のものらしい。
「ユビキタス・キャプチャー」といふことばはまだ死語ではないのかな。
単に自分の周りでは聞かないだけで。
多分、ことばはなくなつても、「ユビキタス・キャプチャー」の意味するところのことをつづけてゐる人はたくさんゐるのだらう。
「いつでもどこでも記録をと」つてゐる人はいくらでもゐる……のだらうと思ふが、さういふ人もあまり見かけない気がしてゐる。
それは「ユビキタス・キャプチャー」といふことが云はれてゐたころもさうだつたし、その前からさうだつたやうにも思ふ。
たとへば職場の打ち合わせだ。
チーム・ミーティングの類でメモをとつてゐる人がやつがれの周囲にはゐない。
とつてゐるやうに見える人もゐる。ノートPCを携へてくる人々だ。
しかし、彼らがノートPCでなにをしてゐるのやら、しかとしたことはわからない。
記録ではないかもしれない。単に内職をしてゐるのかも? あるいはWeb逍遥でもしてゐるのかもしれない。
電車の中でも同様だ。
車中の客は寝てゐるかスマートフォンを使用してゐるかのどちらかだ。
ペンを持つてゐる人も見かけるが、どうやら数独の類をしてゐる人ばかりのやうに見受けられる。
記録をとつてゐる人もゐるのかもしれない。
ただこちらがそれと気づかぬだけで。
だつて Twitter を見ればいくらでもメモ好きな人がゐるぢやあないか。
Web検索をかけてもさう。
本屋に行けばメモの重要性や出力すること、アウトプットの大切さを訴へる書籍が平積みになつてゐる。
しかし、時々思ふのだ。
Webで目立つ、書籍として出版されるといふことは、実践してゐる人が少ないからなのではないか、と。
即ち、やつぱり、世の中に「ユビキタス・キャプチャー」あるいはそれに近いやうなことをしてゐる人はそんなにたくさんはゐないのではないか、と。
つまりは、やつたもの勝ち?
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