オリジナルのデザインとは
あみものをするといふと、「手先が器用だ」と思はれることがある。
実際のところ、世の中に自分ほど不器用な人間がゐるとは思へないし、見たこともない。
家庭科の成績はいつも努力点だつた。
この話はここでも何度も書いてゐる。
でもあみものはできるぢやありませんか、といふ向きもあらう。
できる、と云ひ切つていいものか悩むが、多分、人並みにはできる。
なぜといつて、編み物には時間をかけてきたからだ。
時間をかけられるなんてすごいぢやないですか、と世の人は云ふかもしれない。
だけど、好きなんだもの、そりや時間はかけられるし、かけてゐるといふ意識も普段はない。
時折、「ああ、あみものとか、時間をかければ誰でもできるやうになることしかできないのだなあ」と暗澹たる気持ちになる。
これで、自分で編むもののデザインでもできれば話はまた別だ。
無論、編み図も編み方もなにもないところから編んで仕上げることもないわけぢやない。
この糸にはこんな模様が向いてゐるな、とか、糸から連想して編むこともある。
でもそれは、これまでたくさん編んできたからできることだ。
あの時編んだあのマフラー、あの時編んだあのくつ下、その模様や技術をちよつと借りて来やう。
さうして編んだものもいくらもある。
それつて、デザインしたといへるんだらうか。
あみものの世界では、伝統的な模様についてはそれを使つてデザインしてもオリジナルのデザインと認められるやうに思ふ。
かぎ針編みでいへば方眼編みを使つてデザインしたところで、盗作だとかパクリだとか云はれることはない。
だから、多分やつがれが「あれとこれとを組み合はせてこんなものを編まう」と思つて編んだものは、オリジナルのデザインなのだらう。
よほど似たところ、相手の工夫したところなどがない限り、オリジナルで通るはずだ。
でもどうなんだらう。
著作権は創造性を殺すね。

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