なんでもありの測量野帳
測量野帳を使ひはじめた。
4/2に使ひはじめて、毎日楽しく使つてゐる。
手に持つだけでなんとなくしあわせな気分だ。
使つてゐるのは通常の深緑色の表紙のものではなく、青い表紙でモモンガの絵のついたものだ。
どうやら十年前にコクヨと「BE-PAL」、村上康成の共同企画として発売されたものらしい。
さうか。この測量野帳(以下、野帳)は十年ものか。
ちなみに中身は通常の野帳でいふところの「SKETCHBOOK」とおなじ方眼罫である。
十年もはふつてあつたくらゐだから、入手したはいいものの使ひ道に困つてゐたことは間違ひはない。
当時は、MOLESKINEを使つてゐたころだと思ふ。
一冊にほぼ二百ページの容量といふのがあたりまへだつた。
野帳は八十ページだ。
ちよつと少ない。
とくにここ三年ばかり Bullet Journal を使ふやうになつて、一冊のページ数が多い方がいい。
そんなわけでたまに手持ちの野帳を確認しながらも使へずに来た。
突然使ひはじめた理由は、ひとつ。
なにを書いても/描いてもいいぢやん。
これに尽きる。
火曜日から使ひはじめた野帳には、王維や于武陵、魏武の詩が書き付けてあつたり、手ばかりまたは足ばかりゼンタングルかなにかのやうに埋め尽くしたページがあつたり、「Hammer to Fall」の「What the hell we fighting for」といふ一句が書きなぐつてあつたりする。
つまりは、とにかく滅茶苦茶な状態になつてゐる。
#お見せできないのが残念です。
そして、野帳が手放せない。
かたい表紙に薄くて持ち歩きやすい大きさ。
いつたいなぜいままで使はずにおいてゐたのか。
我ながら不思議でならない。
その一方でかういふ機会を待つてゐたのかもしれないな、とも思ふ。
これまでにも、先に書いた Moleskine とか Panama とかを「なんでも帳」として使つてきたしいまでも使つてゐるけれど、そこには文字しか書かれてゐない。
Moleskine のときはごくまれに図のやうなものを描くこともあるけれど、Panama では皆無だ。
それでいいし、自分にはそれが向いてゐると思つてゐたし事実さうなのだと思ふ。
でも単なる落書きのやうなものもしたかつたのだなあ。
野帳。
使ひはじめてみてよかつた。
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