春は絹穴糸
あたたかくなつてはきたものの、指先は荒れたままだ。
このままでは絹糸を扱ふことはできない。
絹糸はちよつとした指のかさつきも許さない。
ひつかかつては細く糸がほつれてしまふ。
指先の荒れた状態では、すなはち冬のあひだは、絹穴糸を使つたタティングはできない。
絹穴糸もずいぶんと持つてゐる。
ずいぶんと、と書いたが、おなじ色はあつても二巻づつくらゐで、大きなものを作るには足りない。
大きなものを作らうと思つたら、複数の色を使用する必要がある。
そして、さういふ色のとりあはせを考へて糸を買つてはゐない。
以前は京都に行くたびに都羽根の絹穴糸を買つてゐた。
次回行くときまでに前に買つた糸を使ふかといふと、まつたく使つてゐないこともしばしばだつた。
佐賀錦も買つたなあ。
黒を二巻と、紫がかつた水色を一巻。
佐賀錦はそれだけだ。
すでに絹穴糸の在庫を抱へた状態で買つたからだ。
指先の荒れてゐない時期、すなはちこれから先のあたたかくて湿気の多い時期には絹穴糸を使つたタティングをすればいい。
以前もそんなやうなことを書いたやうな気がするが、実践してはゐない。
あたたかくなつてきたら毛糸でタティングするのもつらくなるだらうし、ここは絹穴糸を使つてなにか作つてみることにするか。
と、書いたところでやらないのは火を見るより明らかなのだが。
ところで、今年の「美しいかぎ針編み 春夏」号には、40番レース糸で編むウェアものが掲載されてゐる。
40番でウェアものなんて、ひねもすではないかと思ふのだが、もしかしたら今年の流行は細い糸でウェアものなのかも?
だとしたらタティングレースでもさういふことになつたりしないだらうか。
しないかな。
もちろん、ウェアものに絹穴糸なんぞは使はないけれどもね。
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