通し観劇をやめたい
歌舞伎座での歌舞伎公演は大抵の場合一日二部制で、昼の部と夜の部とがあり、それぞれ異なる演目を上演する。
昼の部は十一時からだいたい十五時半くらゐまで、夜の部は十六時半から二十時半、ときに二十一時過ぎまでといつたところか。
一日に昼の部と夜の部とを通してみることを「通し」と俗に云ふ。
この「通し」をやめたい、と常々思つてきた。
なぜといつて、まづ体力がもたない。
かならずどこかで睡魔に負けてしまふ。
受け取る能力にも限界がある。
先日、国立劇場の小劇場で芝居を見てきた。
演目は「元禄忠臣蔵」から「御浜御殿綱豊卿」と、「積恋雪関扉」の二つだ。
見た後、感想めいたことを手帳に書き留めてゐたところ、いつもより書けることに気づく。
たまたま今、さういふ時期なのかもしれない。
バイオリズムのやうなもので、書ける書けないにも波がある。
今は書ける状態の時、といふことは考へられる。
でも、それだけぢやないな。
多分、無理なく吸収できる演目立てだつたのだ。
どちらも一時間半前後はかかる長い演目ではあるものの、見るのは二点だけだ。
無理がない。
見終はつて劇場の外に出たあとも、反芻する余裕がある。
これが通しだつたりすると、吸収するだけで一苦労だ。
ひとつひとつ咀嚼する余裕はない。
昼の部で三つ夜の部でも三つの芝居を見たりすると、結局一番印象に残つた芝居しか記憶になかつたりすることもしばしばだ。
それはそれでいいのかもしれない、とも思ふ。
自分の心の琴線に触れた芝居だけを覚えてゐればいいではないか。
それはさうなのだが、それにしたつて印象は薄くなる。
日々の疲れがとれてゐない中での芝居見物ともなればなほさらだ。
そんなわけで、できれば「今日は昼の部、来週は夜の部」といつたやうに見られればいいのだが。
実際はなかなか時間もなくてさうはいかないんだよなあ。
それやると土日は芝居の予定だけで全部埋まつてしまふしね。
読書などもおなじやうなものなのかもしれない。
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