貴金属とは縁がない
東日本大震災の後ほどなくして、我が家にも「貴金属買ひ取ります」的な押し売りの人が来た。
「買ひ取ります」なんだから押し「売り」は妙か。
押し買ひ?
買ひ取ります、と云はれて、はたと思ひ至ることがあつた。
我が家には貴金属がない。
もしかすると、家族のものはあるかもしれない。
だがやつがれのもので貴金属はない。
あるとして、10金がちよこつとだけ盛りつけられた指輪があるのみだ。
あ、あと万年筆のペン先ね。これは何本かある。20金もあつた気がする。
そういへばスターリングシルヴァーのタティングシャトルもあるが、これはこの後手に入れたものだつたと記憶する。
18金のネックレスとか冠婚葬祭用真珠のなんとかとか、ましてや人の知る宝石のついたペンダントだの指輪だのはない。
イヤリングは耳たぶにかさぶたができるのでほとんどしない。
さうか。
我が家には貴金属はないのか。
すくなくともやつがれの所有するものはない。
押し買ひの人には正直にさう告げた。
ほんたうだと思つてくれたかどうかは知らないが、押し買ひの人は帰つて行つた。
アクセサリを身につけるといふ習慣がない。
だから貴金属もないのだらう。
身につける習慣があつたら、買ふだらう。
あるいはもらへることもあるかもしれない。
タティングレースでも、ビーズなどあしらつてアクセサリのやうなものを作ることがある。
だが、作つても使ふことはない。
ビーズタティングで作るアクセサリはどこか華やかなところがある。
華やかすぎる、ともいへる。
作るのは楽しいから作るけれど、使ふことはない。
自分の使ひたいやうなものを作ればいいのかもしれない、とも思ふ。
それがなかなかなくてねえ。
ま、ビーズタティングのアクセサリを作つたところで、貴金属を所有してゐないことにかはりはない。
ビーズはただのガラスビーズが好きだしね。
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