エラそーな嘘つき
こどものころから「エラそー」だと云はれてきた。
自分では自分が「エラそー」なことはわからない。
なにがいけないのか。
どうすれば「エラそー」と思はれずに済むのか。
でもある日、問題は解決した。
以前、ここにも書いたやうに思ふ。
アニメの「ケロロ軍曹」のエンディングで云つてゐた。
偉い人の反対はエラそーな人と。
なるほど、やつがれが「エラそー」なのは偉い人ではないからだ。
なんだか腑に落ちた。
きつと、偉くもないのに偉い人のやうにふるまつてゐるのだらう。
だから「エラそー」と云はれるのだ。
いいぢやん、偉くないんだからさ。
「世界一「考えさせられる」入試問題」にはかうある。
利口になる道への最大の障害は、利口ぶることである。と。
なにごとも「そのつもりになる」といふのが一番いけない。
知りもしないのに知つたかぶるとか。
知つてゐるのに知らないふりをするとか。
えうは「正直になれ」「素直になれ」といふことなのだらうが。
それがむつかしいんだよなあ。
タキシーの運転手や美容師に訊かれたことに、つひ、事実とは違ふことを答へてしまふことがある。
「順番を待つあひだ何を読んでゐたんですか?」に「「韓非子」です」と正直に答へられなかつたのは、そのあとの説明がめんどくささうだつたからだけれども。
知らないことを知つたかぶり、知つてゐることをさも知らないかのやうに相手の云ふことにおどろいてみせる。
すべては会話を穏便に済ませやうとしてのことなのだが、「なぜ自分はほんたうのことが云へないのだらう」と毎回思ふ。
そして、できるだけタキシーや床屋・美容院などを避けるやうになつてしまふ。
今度こそウソはつくまいと思ひつつ、やつぱりほんとのことを云へずにゐる。
「相手に合はせる」といふことを間違へてゐるんだらうとは思ふが、どうにもならない。
相手が運転手や美容師でなくても、「好きな役者は誰ですか」といふ質問には正直に答へられない。
いまは相手の納得するやうな答へを用意してゐるが、それもなにか違ふ気がしてゐる。
そもそも「好き」つて何よ、といふ根源的なところにたどり着いてしまふので、自分の中でもきちんと答へは出てゐない。
出すのが怖いといふ話もある。
これが「好きな噺家」だと「まだゐません」と正直に答へることができるんだけどな。
いま探してゐる最中だからほんとのことだ。
かくしていつまでも「エラそー」なままなのだつた。
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