自意識過剰の「エリーゼのために」
ピアノを習つてゐたころ、「エリーゼのために」を練習しに行つて、先生に云はれたことがある。
「有名な曲を弾いてるんですつて感じがする」、と。
それがどうしても抜けなくて、その後さらふこともなく結局「エリーゼのために」は仕上げることができなかつた。
このことは今でもずつと尾を引いてゐる。
自意識過剰だつたのだらう。
また、いま思ふと承認欲求のかたまりだつたのではないかとも思ふ。
自分は世に知られた名曲を弾いてゐる。
その名曲を弾いてゐる自分を見てほしい。
さうひけらかしてゐるやうだつたのではないか。
いまとなつてはわからないけれど。
ピアノに限らず、なんにしてもそんな感じだ。
如何に「うまく」こなすか。
否、如何に「うまく」こなしてゐるやうに見せかけるか。
さうしたことに腐心してしまふ。
なんのために「うまく」こなすのだらう。
自分のためではない。
「「うまく」こなしてゐると他人に認められたいから」だ。
いやらしい。
いやしい根性だ。
それを捨て去るにはどうすればいいのか。
自分のために「うまく」できるやうにすればいいのかもしれない。
たとへば字にしてもさうだ。
自分が見て「読みやすい」とか「形が好き」と思ふやうな字が書ければそれでよしとする。
かうして書いてゐるblogの記事も、自分が読んで楽しいと思へばそれでいい。
わかつてはゐるんだけどな。
「エリーゼのために」に関しては、その後弾くと喜んでくれる人がゐて、すこしだけ和解した気分になれた。
「エリーゼのために」とね。
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