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Wednesday, 06 March 2019

嫌ひなことばは伝はらない

嫌ひなことばは使ひたくない。
人情だ。
どうしても使はなければならない場合はどうするか。
他人が口に出したことばであれば、「誰某さんが云つたやうに」などと云つて、なるべくそのことばは自分からは云はないやうにする。
書く場合は、「いはゆる」とか「俗に云ふ」と前置きしてかぎかつこでかこつて書く。

以前も書いたやうに思ふし、何度も呟いてもゐるが「学びを得る」とか「気づきを得る」といふことばが嫌ひだ。
なぜ「学べる」「学ぶことができる」「気づける」「気づくことができる」と云へないのだらう。

「ら抜き」「さ入れ」に関しては自分は使はないものの、使ひたくなる気持ちもわからなくはないので最近は気にしない。
などと云ひつつ、歌舞伎役者が記者会見やインタヴューなどで平然と使つてゐると、「ことばに関はる仕事をしてゐるプロフェッショナルのはずなのに」と、つひ思つてしまふ。
かういふ役者は「自分はことばに関はる仕事をしてゐる」といふ意識がないのかもしれない。
それはそれでさういふものなのだと思つてゐる。
さういふ人々も現代に生きてゐるのだから、現代に流行る云ひまはしをするのも道理、とも思ふ。

「卑猥」といふことばは使ふことがあれば使ふが、カタカナでは絶対に書かない。
手帳に記すときも漢字で書く。
書くことがあれば、だけれども。

自分に嫌ひなことばがあるといふことは他人にもあるといふことだ。
他人の嫌ひなことばや表現をやつがれが使つてゐることもあるだらう。
世の中、お互ひ様だ。

でもやつぱりどうしても使ひたくないことばといふのはある。
「いはゆる」付きでかぎかつこでくくつても使ひたくない。
以前はひとつだけだつたが、最近もうひとつ増えた。

どちらも外来語である名詞の最初の二音に「い」を加へて形容詞として使はれてゐることばである。
もしかすると新しい方はもともとの英語では形容詞形の方の単語を持つてきたものかもしれない。

他人が使ふのは気にならない。
「学びを得る」や「気づきを得る」のやうに「この人にことば遣ひのことをとやかく云はれたくない」などと思ふこともない。
ただ、とにかくイヤなのだ。
音の響きもイヤなら、字面もイヤだ。

先日、とある人物のとある動きについて言及することがあつて、「それつて×××つてことでせう?」とこの絶対使ひたくないことばで云はれてしまつて、一瞬うろたへてしまつた。
さうぢやないんだよなー。
さうぢやないから別のことばで云つてるんぢやん。

でも絶対使はないと決めてゐる大嫌ひなことばは、口にも出せないし書けもしないから他人には伝はらないのだつた。

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