座りつぱなしとポモドーロテクニック
一時間座りつぱなしだと二十二分間寿命が縮む。
二時間縮むといふ話もある。
人により寿命は異なり、それを割り出す方法はないと思つてゐる。
したがつて、「二十二分縮む」だとか「二時間縮む」と聞いても「さういふこともあるだらうが、結果として自分にはなにが原因だつたのかわかるまい」とも思ふ。
ポモドーロテクニックといふものがある。
二十五分間作業をして五分間休む。
四回目には三十分休む。
さういふ働き方をするものだ。
このポモドーロテクニックを試してみたことがある。
感想は、「五分間の休みになにをしていいかわからない」「職場で三十五分間の休みをとるのはちよつと無理」といふことだ。
自分の座席に座つてゐてナンボといふ仕事をしてゐるとかうなる。
五分間の休みにただぼーつと座つてゐるだけでは、あまり休息したことにはならない。
もつと積極的に休みをとりたいが、それもままならぬ職場環境にゐる。
五分でもそれだ。
三十五分ならなほさらではあるまいか。
ポモドーロテクニックでは、仕事にとりかかる前に二十五分間で終はるやう作業を分ける必要があるといふ話もある。
分割作業も二十五分間で実施するのだらうか。
悩みはつきない。
いづれにしても、職場の人の理解がないとポモドーロテクニックを実施することはむつかしい。
それに、芝居でも見に行けば一幕一時間半、ときには二時間座りつぱなしといふことはいくらもある。
劇場や映画館では座席と座席とのあひだにある仕切に腕を置くことは基本的には許されない。
片方の座席の人が肘を載せたらもう片方の人は載せられなくなつてしまふ。
あれは肘掛けではなく、あくまでも仕切といふだけの存在のはずだ。
しかし、あの間仕切りに肘をかける客は後を絶たない。
どうも、長時間正しい姿勢で座つてゐるだけの体力がないやうに見受けられる。
座ることにも慣れが必要といふことだ。
それを考へると、「ただ座つてゐるだけ」とバカにしてもゐられない。
とはいへ、やつぱり座りつぱなしは躰によくないだらうな、とは思ふ。
なのでいまは仕事中は一時間に一度は座席を離れるやうにしてゐる。
根拠はない。
敢て云ふと、さうしないと座りつづけてしまふから、かな。
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