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Friday, 08 March 2019

笑ふカタカナ

カタカナで書くことばをあまり使はずにこれまでやつてきた。
手帳の書き込みなどを見ても、カタカナ用語はかなり少ない。一ページまるまる出てこないこともある。固有名詞ですら出てこないといふことだ。

学校に通つてゐた時分には意識してカタカナことばを書かないやうにしてゐたこともあつた。
最近はさうでもない。どちらかといふと、できるだけ使ふやうにしてゐる。たとへば「駄目」や「だめ」ではなく「ダメ」と書くやうにするとか、「ごみ」も「ゴミ」と書くとか。
その方があとで読み返しやすいこともあるし、単純に書きやすいこともある。

なぜカタカナことばを用ゐたくないのか。
ひとつには、軽佻浮薄だと思ふからだ。

いまはそれほどではないけれど、過去にはさう思つてゐた。
先日も「「学びを得る」はなぜ「学べる」「学ぶことができる」と云へないのか」と書いたやうに、カタカナことばを使ふ前にほかにふさはしい表現がないかどうか、確認してから書く……と云ひたいところだが、さうではなささうだ。
そんなことをいちいち考へてゐたら「なんでも書く手帳」になにか書き出すことはできない。
文章の流れ、思考の流れがとぎれるからだ。
つまり、普段から考へるときにカタカナことばで考へてゐないといふことだらう。
「文章の流れ、思考の流れ」と考へて、「テキストのフロー、思考のフロー」とは考へない、といふことだ。多分。

もうひとつ、カタカナことばといふよりは、カタカナに感じてゐることが原因だらうと思つてゐることがある。
こどものころから、カタカナといふのは笑つてゐるやうに見える文字だつた。
いまはだいぶその感覚も薄れてきたが、なにかの拍子にカタカナを見ると「この字、笑つてる」と思ふことがある。
漢字やひらがなには特になにか感じることはない。

いまWeb検索をかけてみたところ、カタカナを見て笑つてゐると思ふ例はあまりないやうだ。
「ははは」と表記するより「ハハハ」と表記する方がより笑つてゐるやうに見える、といふ話はあるやうだが、それ以上のものは残念ながらやつがれには見つけられなかつた。

さうか、人にはカタカナは笑つてゐるやうには見えないのか。
あるいは見える人もゐるけれども、やつがれ同様「カタカナが笑つてゐるやうに見えるのはあたりまへ」と思つてゐて、他人に伝へたことがないだけなのかもしれない。

おそらく、カタカナことばが軽薄に見える理由は、この「カタカナは笑つてゐるやうに見えるから」といふのが大きいんぢやないかとも思ふ。

そんなわけで、最近はカタカナも書くやうにしてゐる、といふ話もある。
見たらちよつと心楽しくなるからだ。

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