Queen's Tearjerkers
昨日のエントリで泣き崩れる曲のことについてちよつと書いた。
云はれてみればクイーンの曲で知られてゐるものにはいはゆるtearjerkerはあまりない気がする。
だからといつて、まつたくないわけではない。
といふわけで、アルバム「News of the World」から「All Dead, All Dead」と「Spread Your Wings」の並びといふ話をちよこつとだけした。
11月に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見て以降、久しぶりにクイーンのアルバムをあれこれ聞いてゐると、レコードだつた時代のアルバムはシャッフルできないな、と感じる。
たとへば「A Night at the Opera」の「You're My Best Friend」と「'39」の並び。
どちらの「you」もおなじ人だつたらと思ふと、切なさがはてしない。
この世で一番大切な人、かけがへのない「you」のために死にゆく土地に代はる新天地を探しに行く、「you」にはもう二度と会へないとわかつてゐながら、とか思ふと、時間に隔てられた戀といふのは最後に残された禁断の戀であることだなあとしみじみしてしまふ。
といつて、「All Dead, All Dead」と「Spread Your Wings」とにはさういふつながりを見てゐるわけではない。
単純に「続けて来るなよ(/_;)」といふ並びといふだけだ。
「All Dead, All Dead」は、しかし、フランクリン・プランナーを使ひこなしてゐるやうな人、「七つの習慣」に傾倒してゐるやうな人には響かない歌かとは思ふ。
いまでも忘れられない。はじめて「フランクリン・プランナー」の紹介パンフレットを読んだときのことだ。
そこにはフランクリン・プランナーを使ひこなしてゐて、おそらくは「七つの習慣」のセミナーにも出たことのあるだらう人の体験談が並んでゐた。
そのうちのひとつに、お子さんを亡くした人の談話があつた。
お子さんが不治の病であると宣告されて、その人は「七つの習慣」にしたがつてみづからの予定を立て、それを実行した。
お子さんとはできうるかぎり一緒に過ごした。
おかげで亡くなつたいまも後悔の念はまつたくない。
自分にできることを尽くしたからだ。
そんな内容だつたと記憶してゐる。
かういふ人には「All Dead, All Dead」はおそらくささらない。
この歌は親しい人・愛する人を失つたのちに抱く戸惑ふやうな互ひに相反するやうな想ひの浮かぶやうすを歌つたものだからだ。
歌の最初は、出会ひだ。
互ひに楽しく過ごした日々を歌ふ。
でも相手は死んでしまつた。
なぜ自分は生きてゐるんだらう。
まだあの歌声は聞こえるのに。
あのころに戻りたい。
いまでも思ひ出す相手と過ごした日々。
もつとたくさんしてあげられることもあつたのに。
でも悲しんではゐられない。
いづれ誰にでもおとづれることだから。
でも、もちろん、相手が死んだだなんて、信じてはゐないんだ。
と、だいぶ意訳したが、おほざつぱにはこんな内容だ。
楽しい日々を思ひ出しながら相手のゐない悲しみにくれ、その一方で「死は誰にでもおとづれるものだから悲しんでゐちやいけない」といひつつも相手の死を完全には受け入れられずにゐる。
「もつとたくさんしてあげられることもあつたのに」の部分は、本来は相手に許しを求める内容だ。自分はまだこどもだつたから、と。
おそらく、歌の主人公はまだ幼かつたから、死んだ相手にいろいろひどいこともしたのだらう。
いま思へばあんなことするんぢやなかつた。
もつとあんなこともこんなこともしてあげられたのに。
ごめんね。
さういふ気持ちなのだと思ふ。
この歌はいま聞くと早逝したフレディ・マーキュリーのことを思つて泣けるといふ話もある。
今回は、はじめて聞いたときのことを思ひ出しながら書いてみた。
長くなつてしまつたので「Spread Your Wings」についてはまた機会があつたら。
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