狂気とタティング
以前は、どこに行くにもタティング用具を持ち歩いてゐたことがあつた。
その前はあみもの道具だつた。
時間があいたら編む。
駅で電車を待つあひだ、ベンチに座れたら編む。
座れなくてもまはりに人がゐなかつたら立つたまま編む。
医者で役所で病院で、いくらでも待ち時間はある。
Stephanie Pearl-McFee aka Yarn Harlot が、さういふ待ち時間に正気を保つために編む、みたようなことを書いてゐたと記憶する。
もちろん、好きだから編むわけだけれども、銀行などで待つあひだ、いつ呼ばれるのかもいつ終はるのかもわからない不安な状況を乗り切るために編む。
あみものなんて気が長い人のすること、といふのはものの一端しか見てゐない。
気が短いから編むのだ。
タティングもまた然り。
あみもの道具がタティング道具になると、荷物がぐつと小さくなつた。
あみものほど周囲の状況を気にしなくてもできるのもいい。
本邦では電車の中ではあみものをしてはいけないことになつてゐるといふからね。
あみものがダメなら数独で使ふペンもダメだらうと思ふのだが、ペンで他人の目を突いたことのある人はゐないらしくて禁止されてゐない。
理不尽である。
それでしばらくは外出時の待ち時間にタティングをするやうになつた。
近頃持ち歩くかばんが小さくなり、しかし荷物はそれほど減つてゐない。
なにが減らせるかと考へたときに、タティング道具が二番手くらゐに候補になつた。
そんなわけで、いまはほとんどタティング用具は持ち歩いてゐない。
現在作つてゐるものがスカーフといふチト大きいものだからといふのもある。
なにかもつと小さいもの、モチーフだとか栞だとかならいいのかもしれない。
以前は大きいものを作つてゐるときには持ち歩き用の小さなものも同時進行で作つてゐた。
いまはその余裕がないのかもしれない。
或は「The Dark Side of the Moon」に足を踏み入れてしまつたか。
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