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Friday, 15 February 2019

好きなら知つてて当然?

昨日のエントリでクイーンの「All Dead, All Dead」についてちよつと書いた。

昨日のエントリでは、歌から読みとれることしか書いてゐない。
最後にちよつとだけ、「いま聞くと早逝したフレディ・マーキュリーのことを思つて泣けるといふ話もある」とは書いて、それだけだ。

ご多分にもれず、この歌にはほかにももつと付帯情報がある。
死を悼まれてゐるもののモデルのことや作者の生ひ立ちを絡めたらさらに妄想が広がる。
四十周年記念ディスクが発売されたときに公開された未公開音源もさうだ。

さうしたことは全部排除した。
なぜといつて、「好きであること=知識があること」といふ図式に疑問を抱いてゐるからだ。

好きになつたら知りたい。
もつと情報を得たい。
自然な欲求である。

それに付随して「好きなら知つてゐるべき」だとか「好きなら知つてゐて当然」だとかいふ意見もある。
ゆゑに好きな対象のことをよく知らないといふことが許されない状況になつてゐる。
でも、ほんたうにさうなのだらうか。
ほんたうに、好きなら知つてゐなければならないのだらうか。
ただ好き、単純に好きといふのではダメ?

作家だとか画家だとか音楽家が好きといふのなら、その人の作品が好き、それを鑑賞するのが好き、それで十分ではあるまいか。

好きな作品について語るなら、まづはその作品を深く鑑賞し、そこから読みとれることだけを語るやうにする。
さうすると、その作品しか知らない人ともコミュニケーションがとれる。
もしかしたら相手はさらなる情報を持つてゐたりするかもしれない。
そこで教へられてさらに知識を深める。
それができるのは、共通の土台としての作品があるからだ。
そこをおろそかにしたらなにも生じない。

そのせゐだらう、「SLAMDUNK」が好きと公言する人が越野宏明を知らないといふと「え、だつて好きなんでせう、「SLAMDUNK」?」とか云つてしまふのだが、それはまんがを読んでゐればわかる情報だからだ。
しかし、ほんたうはそれさへもどうよ、といふ話だ。
好きだつたら作品全体、全作品を好きでなければならないかといふと、決してそんなことはない。

と書きながら、「SLAMDUNK」が好きと公言する人が木暮公延のことを「小暮公延」と書いてゐたらちよつとその愛を疑つてしまふけれど。

つまりは、斯様に自分には「好きであること=知識があること」が躰に染み着いてしまつてゐるといふことだ。

十一月に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てからといふもの、このblogにもクイーンのこといろいろと書いてきた。
書いてはきたけれども、実のところ、自分はそんなにクイーンのことは好きではないと思つてゐる。
だつてほとんど知らないものクイーンのことなんて。
さすがに最近はTwitterなどで流れてくる情報からいろいろ知るやうにはなつてはゐる。
でも、なんていふのかな、好きな曲を聞けるだけで十分。
場合によつては映像もいらない。
音楽だけでいい。
それでも好きと云つていいだらうか。

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