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Wednesday, 27 February 2019

できないことは教へない教育 または できることを伸ばす教育

Prodigal Tongue といふ本に、英米における教育の違ひについて述べた箇所がある。

この本自体は、英語と米語との相違点を記した書だ。
著者は米国生まれ米国育ちで米国で教職についたあと、英国に渡つて暮らしてゐるといふ。

本によると、米国の学校ではどの生徒にも達意の文章を書けるやう教育するといふ。
一方、英国ではさういふ教育は行はない。
「書ける子は本など読むうちに自然と書けるやうになるから」といふのがその理由なのださうな。

この話をすると(やつがれの話し方もまづいのかもしれないが)、相手は英国式教育に反感を持つやうだ。
できない生徒もあるていどはできるやう教育を受けさせるのが本筋だらう、といふのである。

でも、さうなのだらうか。
本のこのくだりを読んでゐて思ひ出したのは、チャーチルの逸話だ。
チャーチルはラテン語がとにかく苦手で、ある時先生に「きみは英語が得意だから英語でがんばりなさい」と云はれたといふ。
その先生のことばどほりに英語に打ち込んで、文章家として知られるやうになる。

短所は切り捨てて長所を伸ばす、そんな教育もありだと思つたわけだ。

文章は、みんながみんな書けるやうになるとはかぎらないんぢやないかといふ気がしてゐる。
職場などで受け取る電子メールのうち、達意のものはほとんどない。
なにを云つてゐるのかわからないものも一通や二通ではない。
おそらくは生まれてこの方日本語を聞き、喋り、読み、書いてきた人々ばかりだと思はれる。
それでも書けない。
文章を書くといふことは、むつかしいことなのだ。

おなじことは絵を描くことや、プログラミングにもいへる。
世の中の六割の人はプログラミングに向かないといふ調査結果もあるといふ。
有名な大学の情報関連の学部やそのゼミにおいても、プログラミングを理解できない学生が毎年一定数ゐるといふ。

さういふものなんぢやないかなあ。

できないことをやめるのは妙手かと思ふ。
ただそれも、ちやんとできること好きなことを猛烈にやれば、の話だらう。
それとも人間、なんにもできなくてもいいのかな。
なんだかそんな気もしてきた。

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