最初から適正な量の毛糸を買はないと
Hell's Grannies Hat は、つばの部分まできた。
まだ増やし始めたばかりなので完成にはもうしばらくかかる見込み。
金曜日に不足分の毛糸を買ひに行つた。
不足分はクイーン・アニーの黒一玉だ。
さうです。まんまとほかの糸も買つてきてしまつたのです。
セール中だつたので、パピーのハスキーと Opal のソックヤーン Loewe を求めてしまつた。
パピーのハスキーは Twitter の TimeLine でしばしば見かけてゐて、気になつてゐる糸だつた。
一玉でなにかできさう、と思つて買つてしまつたんだよなあ。
Loewe も同様。
一玉使ひきりでどうにかなりさうと思つて買つてしまつた。
なんでかう計画性がないかな、と思ふ。
衝動買ひはいかんよね。
衝動買ひの結果、毛糸がどうにもならないことになつてゐることはもう学んだはずなのに。
そもそも毛糸にも申し訳ない、とは以前も書いた。
しかも帽子もろくろく編めてゐない状態だといふのに、だ。
でも編みたいものはいくらもあるんだよな。
手持ちの毛糸で編めよ、といふ話だが、それはいづれするつもりでゐる。
問題は目の前に新しい毛糸が並んだときのことだ。
さう考へると、やはり最初に買ふときに適正な数の毛糸を買つておく、といふのがいいのかもしれない。
うつかり不足分を買ひに行つて、誘惑に身を晒すよりはそれがよからう。
それにしてもモンティ・パイソンはいいな。
Hell's Grannies Hat を編む気をもりあげるためにしばしば見返してゐると、Ravelry ができたばかりのころを思ひ出す。
Ravelry にはモンティ・パイソンのコミュニティがあつて、あのころ「パイソンズで編めるのはテリー・ジョーンズ」とか、「どのスケッチで編んでゐる」とか、「スペイン宗教裁判のときはキャロル・クリーヴランド(お誕生日だつたとか? めでたい)がかぎ針編みをしてゐる」とか、もりあがつたんだよなあ。
編む人間は見るところが一緒なんだな。
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