進まないと不安になる
去年の今日は大雪で大変だつたやうだ。
「雪は降る 電車は来ない」などと呟いてゐたから相当だ。
帰り道、単騎ながら「八甲田死の行軍だな」と思ひながら歩いた記憶もある。
自分の前にこの道を人間が歩いたのは何時間前だらうといふくらゐ、雪が積もつてゐた。
足跡は皆無だつた。
こどものころ雪が降るといへば三月だつた。
大雪の影響で大停電に見舞はれたのも三月の末のことだつた。
あのころはガスストーヴがあつたので、それで暖をとつたことを覚えてゐる。富士山の方に旅行に行つてゐた伯父が自宅まで帰りつけず、我が家に泊まつたのもこの日だつた。
一月二月は思ひのほか降らなかつたやうに覚えてゐる。
六代目中村歌右衛門が亡くなつた日も雪が降つた。桜が咲いてゐて雪が降り、夜には月も出たといふ。
でもこのところ、雪といへば一月か二月といふ印象がある。
三月になるともうあたたかい。
去年一昨年はそんな感じだつたやうに思ふ。
こんな調子では、極細毛糸で作つてゐるタティングレースのスカーフも三月くらゐで頓挫するかもしれないなあ。
だんだん大きくなつてきて、そのうち膝の上に置いてタティングするやうになるからだ。
暑くなると膝の上に毛糸で作つたものが乗つてゐることに耐へられなくなるんだよなあ。
とはいつても、三月くらゐの陽気ならまだ大丈夫だらうか。
読めぬ先のことを気にしても仕方がないとは思ふものの、だつたら毎日天気予報なんぞ見はしない。
気にしても仕方がないのなら、天気予報だつて週間予報なぞ出したりはしないだらう。
気になるならせつせと作ればいい。
さうなんだけれども。
正論といふものはなぜか耳に逆らふ。
いつもといふわけではないけれど、正しいことば・正しい行ひといふのはなぜかすなほに受け入れ難い。
だからダメなのか。
スカーフがあまり大きくなつてゐないやうに見えるのでよけいに心配になるのだらう。
遅々としてゐると思へても、日々ちよこちよこ結んでゐればいづれ完成する。
不安に思ふことはないのかもしれない。
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