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Thursday, 31 January 2019

筆の汚れと不労所得

どうもノートを汚せない。

粗相が多いのでうつかり汚してしまふことはあるし、そもそも字が汚いので見た目に汚いといふことはある。

でもやらうと思つてもなかなかノートを汚すことができない。

自分には、「ノートとはかうあるべきもの」といふ基準があるやうだ。
無意識のうちにあるので、普段は自覚してはゐない。
でも以前ここにも書いたやうに、お気に入りのノートにお気に入りのペンで仕事のことを書き込むのはイヤ、とかいふのが基準のひとつなのではないかと思つてゐる。
お気に入りのノートにお気に入りの万年筆で仕事のことを書き込むなんて、筆の汚れだ。

仕事のことは書きたくないといふ気持ちは現在ではだいぶ緩和されてゐて、Bullet Journal にもちやんと書くやうにしてゐる。
……と書くくらゐだから、やはりどこかに抵抗があるんだな。

書いておくと、あとで「ああ、こんなこともあつたなあ」などとおもしろく見ることもできるのだが、書く時点では書きたくない。

中学生のときに「三国志演義」やそこから派生した物語などに触れ、「ああ、いいなあ、隠遁生活」などと思つたのが間違ひのもとだつた。

人に雇はれることなく、みづからの草庵でのんびり過ごす。
実際は晴耕雨読などといつて食ひ扶持くらゐは自分でなんとかしなければならなくて、「のんびり」などとは云つてゐられないのかもしれない。
さういへば陶潜の詩の解説に「こんな暮らしができるのも、中産階級の人だからだ」的なことが書いてあつて、なんだか夢を壊されたやうな気分になつたことがあつた。

さうだよね。
不労所得がなければ隠居生活なんて夢のまた夢。
わかつちやゐるんだけどねえ。

そこんとこをはき違へてゐるから幸せが遠いんだよなあ。
わかつちやゐるけどやめられない。

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