腹ふくれて もの捨てられず
「おぼしきこと云はぬは腹ふくるるわざなれば」とは徒然草にある一節だ。
さうなんだよなあ。
腹のふくれるやうな云ひたくても云へないこと、云ひたくても云ひだせないことつて、結局他人に見せるやうなものではないんだよなあ。
さうしたことどもは、ひとまづ手帳等に書き出して、それでおさめるやうにしてゐる。
破り捨てはしないけれど、いづれゴミとなるものだ。
さう考へると、なぜいま捨てない、といふ気にもなるけれど、捨てるのであればそれこそチラシの裏に書く。そして資源ゴミの日にでも捨ててしまふ。
とりあへず手帳に書き留めるのは、「あー、またおなじことで腹ふくれてるよ」などとあとで見返すためだ。
我が家はなにしろものを大事にしない家で、といはうか、不要なものはなんでも捨ててしまふ家で、わづかにやつがれがなぜかさういふ性格ではないのだが、実はさういふ血も我が家には流れてゐて、たまたま自分だけがその血を受け継いでしまつたのらしい。
どうして自分だけ、と思ふが、生まれついてのものだから仕方がない。
さうしておなじ血を受け継いだはずなのにバンバン不要なものを捨てられる家族を見てゐると、「この人たちには、「おぼしきことを云はずに腹ふくるる」気持ちなんてわかんないんだらうな」といふ気がしてくる。
不要なものを迷ひなく捨てられることとおぼしきことはなんでも云つてしまふこととが連携してゐるとは限らない。
でも、なんとなく、ものに執着しない方が、すつきり生きてゐるやうに見えるんだよなあ。
うらやましい。
自分がものに執着するのは、薄情の裏返しだから、これまた仕方がないといへば仕方がない。
とりあへずお気に入りの万年筆にまかせてお気に入りの手帳におぼしきことを書き散らすことは、世の中にこんなに楽しいことがあるだらうかと思ふくらゐ楽しいんだから、悩むことはないな、とも思ふ。
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