気になる教育
去年のいまごろ、「史上最悪の英語政策」を読んでゐたし、いまでもWebの記事でも教育関係のものをしばしば読んでゐる。
自分にはもう関はりのないことだし、別段教育に携はつてゐるわけでも教員免許を持つてゐるわけでもない。
なのになぜ気になるのだらう。
思へば、自分はいはゆる「ゆとり世代」の先駆けだつた。
気がつくと、時間割に「ゆとりの時間」といふ謎の教科が組み込まれてゐた。
その時間、なにをやつたかは記憶にない。
おそらく、地元の人々などとふれあひその中からいろいろ学べ、といふやうな時間だつたのだらうと推測する。
そんなことをした記憶もないが。
高校生になると、毎年数学で学習する範囲が狭くなつていつた。
ひとつ上の先輩たちが学んだことを我々はやらないといふやうなことがあつた。
多分、高校二年生では「微分・積分」をもうちよつとやるはずだつたのだと思ふ。
少なくともひとつ上やふたつ上の先輩の話だとさうだつた。
でも自分の代ではほんの最初の部分だけしかやらなかつたやうに記憶してゐる。
多分、自分より下の代もおなじやうな状況にあつたのだらう。
そして、俗に云ふ「ゆとり世代」がやつてくる。
それがどうした、といふ話もあらう。
自分もさう思つてゐる。
すくなくとも、さう思つてゐると信じてゐた。
けれども、教育関係の情報が気になる。
心のどこかで「教育は国家の礎」などと思つてゐるのかもしれないな。
あるいは、学力と財力さへあれば私学に行つてもつと自由に学べたかもしれないのに、といふ恨みもあるのかもしれない。
最近気になつてゐるのは、大学受験の英語がどうなるのか、国語もひどいことになつてゐるらしい、といふあたりだらうか。
いま目の前のWebブラウザには「How Americans Came to Distrust Science」といふ題名の記事が表示されてゐる。
自分はいつたいどこに向かつてゐるのだらう。
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