PHSとわたくし
主に使つてゐる通信用携帯端末はiPhoneだが、通話に使用してゐるのはPHSだ。
Y!mobileのストラップフォン、通称フリスクフォンである。
「フリスク」フォンと呼ばれる所以は、端末の大きさがフリスクの箱とほぼおなじだからだ。
なぜPHSなのか。
人に話すときは、東日本大震災での体験を語ることにしてゐる。
あのとき、docomoもauもSoftbankもつながらなかつたけれど、PHSだけは通じた。
さう話すと納得してもらへる。
でも、ほんたうの理由は違ふ。
フリスクフォンが好きだから。
それにつきる。
手のひらに収まるサイズ、ゆゑになくしてしまひさうな不安、機能は通話と電子メールのみといふ潔さ、なによりずつと使つてきた電話番号であるといふこと。
はじめての携帯端末は、テガッキーだつた。
かつてこのblogにも書いてゐる。
使用中断もあつたし最後は充電できなくなつてしまつたが、サービス終了まで使ひつづけた。
テガッキーのなにがいいといつて、通話のできないところだ。
テガッキーとはその名の通り、手で書いた文字や絵がそのまま電子メールで送れる端末だつた。
スタイラスがついてゐて、画面に描いたものがそのまま絵になつた。
フリスクフォンよりは大きいけれど、それでも手のひらサイズだ。
実際は手書き文字や絵を送るよりは普通に文章を打つてメールを送受信してゐた。
メールの時間指定送信サービスもあつて、便利だつた。
さういへば着信音に横浜ベイスターズ(当時)の選手の応援歌とか入れてて、うつかり職場でマナーモードにするのを忘れてしまつていろいろバレてしまつたのも懐かしい思ひ出だ。
あのころは携帯電話にしても自分で着信音を入力することができたんだよね。
その後、新たな客先で勤務することになるにあたり、Air"Hにきりかへた。
通話もできるやうになつたけれど、通話機能はほとんど使つてゐなかつたと思ふ。
独自のWebブラウザがついてゐて、休み時間に囲碁や将棋のタイトル戦の盤面を見たりしたものだつた。
依田紀基と張栩との対局で、まるで作り碁のやうな終局図を見たのがこのころだ。
それも、二局、三局とさういふことがあつたと記憶してゐる。
世の中にはこんなにうつくしい終局図もあるのだなあ。
Air"Hのことを考へるとき、思ひ出すのはそのことだ。
この端末は契約終了後も長いこと目覚まし時計として使つてゐた。
なぜか「東京行進曲」がアラームになつてゐて、毎朝ダンサーの涙雨とともに目覚めたものだつた。
Air"HのあとはW-ZERO3だ。
QWERTY配列のキーボード付きのいまでいふスマートフォンのやうな端末だつた。
このころ、それまでより写真を撮るやうになつたやうに記憶してゐる。
キーボードは親指のみで打つてゐた。
それでも結構打ててゐたやうに思ふ。
ただ筐体がたはむやうな感覚があるのがちよつと不安だつた。
W-ZERO3[es]に機種交換して、通話はしやすい形になつたけれど、文字はちよつと打ちにくくなつたなーと思つてゐた。
この先どうしやうと思つてゐるときにストラップフォンが発表されて、でも電子メールが使へないのは困るなあと思つてゐたら、電子メール機能を追加したストラップフォンIIが発売されて、一も二もなくとびついて現在に至る。
PHSのサービスは2020年で終はるといふ。
でも、「これ!」といふ端末がない。
結局Y!mobileでiPhoneといふことになるのかなあ。
それもなんだか味気ない。
それに、なにかあつたときの連絡用として機能するのだらうか、といふ心配もある。
「これ!」といふ端末さへあればこんなに悩むこともないのだけれどねえ。
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