Good Company あるいは預言者の唄
はじめてクイーンの「Good Company」という歌を聞いた時、「これは自分のことだ」と思つた。
小学生の終はりか、中学生のころだつたと思ふ。
小学校に入る前に、引つ越しを三度経験した。
一度目が四歳の冬、二度目がそのほぼ四ヶ月後、三度目が六歳の時だ。
引つ越すたびに、前住んでゐたときに遊んでゐた友だちと疎遠になる。
多分、自分はかうして最後はひとりになるのだ。
「Good Company」を聞いて、さう思つた。
「Good Company」といふのは、おそらくはもうあとは墓場に行くだけの男の話である。
その男が、こどものころのことを思ひ出すところからはじまる。
パイプをくゆらしながら父親が云ふ。
「友と呼べる人々を大事にしなさい」
男は父親の云ふことに従ふが、結婚するまでのことだつた。
家庭を持つと妻との暮らしにばかり目がいつて、それまで仲良くしてゐた友だちは、ひとりまたひとりと去つていく。
そのうち男は仕事に精を出すやうになり、名声を得る。
でも最後に残つたのは his own limited companyだけ。
いつしか妻とも疎遠になつてゐた。
年を取り、父親とおなじやうにパイプをくゆらしながら、でも周りには誰もゐない。
己が人生の愚考から学んだことに思ひを馳せる。
「友と呼べる人々を大事にしなさい」
ああ、これは自分のことだ!
自分も最後はきつとかうなるのだ。
仕事は好きぢやないから会社を得るやうなこともなく、年をとつたら周りには誰もゐないんだ。
本家「預言者の唄」よりもよほど「預言者の唄」だつた。
普段、「クイーンといへば「Good Company」かな」とか呆けたことを云つてゐる、その理由はかういふことだ。
人生の最後がだいぶ近づいてきて、でも幸ひなことにまだ「No one there's to see.」といふ状況には至つてゐない。
自分はこれといつてなにもしてゐないにも関はらず、だ。
非常に恵まれてゐる。
ありがたいことである。
大事にしなさいよ。
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