好きなことの話をしやう
普段「タティングレース」と口に出して云ふことがあるだらうか。
数へてゐるわけではないからわからないけれど、最低週に一度は「タティング」と云つてゐるのぢやあるまいか。
或は月に一度。
年に一度といふことはないと思ふ。
といふのは、こんな記事を読んだからだ。
記事の冒頭で、ある教師が生徒に対して気がをかしくなるほどむつかしい数学の問題を出すことがあつた、といふ。
ほかの数学教師に助けを求めてもいいし、学外の人に訊いてもいい。ただしこの教師自身にはなにも訊いてはいけない。
さういふ条件つきだつたさうな。
この教師の目的は、問題を解かせることではなかつた。
数学について教室の外で人と話をすること。
それが目的だつたのだ、と記事にはある。
おそらくは数学のよくできる生徒相手のことだ。
その生徒が手こずるやうな問題を、数学のわからない相手と会話することがあるだらうか。
さう考へると、この教師のやらうとしてゐたことは、「まづは話すこと」だつたのだらう。
この記事を読んで、なんだか突然蒙を啓かれた気がした。
自分は自分の好きなこと、好きだけれどもそれほど世に広まつてゐるとは思へないことを他人と/に話すことがあるだらうか。
ないな。
ない。
同好の士とはあるけれども、それ以外の人とはまづない。
家族ともしない。
それがあたりまへだと思つてゐる。
通じない人間と話をしても仕方がない。
相手にも失礼だらう。
頭の中でさう思つてゐる。
実際、失礼なこともあらう。
自分のまつたく知らない話をされて怒る人間はいくらもゐる。
世間の人はそんなに悠長な暮らしを送つてゐるわけではない。
それでなくてもネットで自分の興味のある範囲しか見ない人間が増えてゐるといふ。
そんなときにタティングの話?
ないわなー。
そもそも自分の好きなことについて話したくない。
話してわかつてもらへるとも思へない。
わかつてもらへるやうに話をしないからだ。
昨日実は「これがほんたうに好きなんだ」といふことを呟いた。
当初、まつたく反応がなかつた。
その他のことにまぎれるやうに呟いたのもいけなかつたのかもしれないけれど、
「ああ、やつぱり同好の士のゐないやうな些事でほんたうに好きなことつて、伝はらないんだなあ」
と、しみじみさう思つた。
伝はらないかもしれないけれど、世界に向けて発信する。
可能なかぎり伝はるやうに発信する。
好きなことを絶やしたくない。
好きなことには長くつづいてほしい。
さう思つたら、さうするしかないのかもしれない。
ところでタティングレースについていふと、自分が云はなくても人気が出てゐるやうではある。
本屋で本を見ればわかる。
ただそれも一過性のことかもしれない。
やはり呟くしか?
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